サンチョパンサの憂鬱

サンチョパンサの食卓(94)……今、世阿弥の極意『秘すれば花』の時代

来店して頂いたお客様にアンケートをお願いしている。
ここ一、二年くらいお一人様のお客様が急増していて自然とお一人様の感想を目にする機会が増えた。

ウチの店に於いて、良い客筋は圧倒的にお一人様に多いという顕著な特徴がある。

それは何故か?
お一人様を好むという性質上、安易な同調をしないだろう?という性格が想定できる。

一人で居るということは、群れつるむ人達がお付き合い上の安易な会話を交わしている時、お一人様は全て『個人的思索』に費やしている。

そんな方達のお店に対するお誉め頂いたポイントは圧倒的に『店内の雰囲気・空気感』である。
コスパとか?ボリュームとか?メニューの具体的な味覚の感想などは殆どない。
ここに何が見えてくるか?と言えば数量ではない世界観という価値観である。

独断とお断りして進めます。

余りにアカラサマな直接的欲望・価値観が世の中を席巻し、『ソレに乗り遅れたら損?』とばかりに我先を競う社会……。

『みんな上手いことヤッてるのに……』と何だか自分だけ損を囲ってるんじゃね?という慢性的欲求不満が根底にあるんだと思う。

ロリコン趣味の人は別にして、幼さを残す少女達に直接的性欲を向ける人間は有利にことを進められる『手っ取り早さ』を選択しているんだと思う。

その論理は?……セックスはセックス。演ることは同じさ?……である。
そして計ったように皆、画像に残し保存を試みる。追体験?の為って訳なんだけど……そんな解剖学的な直接的映像には人の興味を惹きつけ続ける力なんぞはない。従って直ぐ飽きる。

女子中学生もオッサンたちもそんな直接的で手っ取り早い方法に直ぐ馴染む。そしてそれは日常化していく。
時間経過と共にその興奮は比較級数的に劣化するのである。

だから必然的にセックスはセックス。カネはカネという価値観のその実現手法は過激化の一途を辿るという運びである。

何でもかんでも、全てをアカラサマに『見せてしまい』、『見てしまう』という体験には世阿弥の言う所の『花がない』のである。
『明示に次ぐ明示』……何処までも『隅々まで見えてしまうその観劇』には何の驚きという花がない。

動物学的セックスならばセックスはセックス。とても小脳的でありアリキタリである。
人の興味を高め、得も知れぬ興奮を導く為には『暗示』っていう『想像の余地・領域』を必要とするのである。

暗示を受けると人の前頭葉は底知れぬ想像力が起動・稼働を開始する。
今、この時!この瞬間のこの人とのセックス!
正に一期一会の宇宙初にして宇宙最後、この一瞬にしか味わえないセックスとなる。
まさに……『秘すれば花』の世界の味わいである。

今、世界の大企業は芸術学部の修士課程修了者を求めてやまない。反比例する様に数字理論の追求者たるMBA修士の人気はガタ落ちとなっている。
何の味わいもなかったカネ稼ぎの企業活動にも、人間の前頭葉を駆使した『独自性の価値提案』が必須となったからに他ならない。

今まで高学歴をウリにしてた人間達が『感性の低偏差値』のせいで何とも呆気なく世の中から脱落している。
それは『高感度必須という世の中の必要』を満たせない劣化型人材ゆえの当然の帰結なのである。

同じ日本人同士で話しても全く通じ合えないのは『感性の格差社会』が既に動き始めている故の現象に他ならないのである。

何でも分かり易く何でも見え易いという便利が有り難かった時代は感性豊かな人達の世界では終わりつつある。

一重に……分かり易く見え易いってコンテンツは何〜んも面白くないからである。

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