サンチョパンサの憂鬱

自分の心は誰のもの?

何かに思考が捕らわれている。興味を他に転じても気付けばまたそこに帰っている。
一般的にはこういう状態はとても不自由な状態だ。

メンタルを一番強く拘束するのは恨みという奴である。
何をしていても心がそれに捕らえられてしまう。

それに次いで強い拘束力を発揮するのは怒りである。
ただ……怒りは恨みの様に長続きしない。三日もすればアホらしくなってそこから解放される。

杞憂とか不安とか心配とか……心が否応なしに捕らわれる原因は幾らでもある。

それとは別に、そんな要素と全く質が違うけれど心捕らわれる場合もある。
強い能動的な興味である。
そんな状態の時、人間は一番楽しんでいるんだと思う。

この様な場合は人間は辛くなく、喜んで心をそのテーマに差し出している。

人は自分の心をコントロールしているのか?されているのか?
自分の心なれど、意のままには中々制御出来ない。

人は目の前の事実を肯定出来ない時……恨みとか怒りの感情を以てその事実に抵抗を試みる。

その苦しみから抜けるには、その事実は変わらないのだから『その解釈を変える』しかないのである。

一度流れた時間を巻き戻そうとするかの様な欲求はどても頑迷で叶う筈もなく……その事実に対する自分の心を、態度を変える以外に手立てはない。

それに気付くとき人は再び自分を得るのである。全ての事、あらゆる事がまた自分の裁量に任される瞬間だ。

自分を縛るもの……大抵の場合それは自分の心だという皮肉……。
恨みとかつらみとか怒りとか……そんなモノの虜になった時……人は一人相撲を取っているのである……。

『そんなのは認めない!』……怒りをエネルギーに、一人の男が全米に駄々っ子を演じている。
『負けること・負ける人間は価値がない!』と育てられた男……。
真偽のほどは?は分からないけれど、姪っ子が書いた本が……信憑性を増している。
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