サンチョパンサの憂鬱

村人Aに……固有名詞を!

学芸会の村人Aという様な役柄を演じながら生きてる人の常識っていうのを……少し掘り下げて見ると……自分に出来ない事を簡単にやってしまう人を必ず嫌悪している?節がある。
その癖、チャレンジというリスクは犯さないのか犯せないのか?……。

例えば思い付いた事を何の遠慮もなく直ぐ表明したりする人間を『もう少し考えてから喋れば良いのに……』なんて尤もらしい理屈つけて嫌悪を表明したりする。

実の所……それを嫌悪するのは自分では出来ない芸当だからなのである。それが明るみに出れば救われない。そこで考えるのが『尤もらしい理由』なのである。

自分は誰かの後から『そーだ、そーだ!』の台詞のその他大勢……何時も誰かの追随者。

おブスが美人を嫌うのも……そんな手法が使われる。
ぶっている。お高くとまっている。
自分を綺麗だと思っている?そんな当たり前の事までが正当性をもって主張されるのである。

ホントは自分がおブスで相手が綺麗だから嫌いなだけである。
やはり、『自分に無いものを持っている』から嫌悪するという図式である。
ならば『自分の中の何か』を探せば良いのだが……端からそれは諦めている。

強かな美人はこれを逆利用する手練れもいる。余り好きな手法じゃないけれど。

『おブスにイジメられるシンデレラ』になる方法である。
何も抵抗せずやられるに任せるのである。黙っていてもシンパが親衛隊にと志願して来るのである。

それ見ておブス達は歯ぎしりするの図となる。そして憎悪の火に油……余計に美人の悲劇を引き立ててしまう哀しい流れである。

『無いものネダリ』……一番幼稚でミエミエの感情だ。それが村人達の常識……。

『無いものネダリ』はボリューム層の中心をなすものである。
その無いものネダリのメンタルが彼等に被害者感情を何時も携帯させる事になる。

ある日突然始まったかに見えるイジメは、彼等の報われない日々の被害者感情のガス抜き効果を狙って……日頃から隠し持ってる攻撃の動機が用意周到に準備された上で起こるモノである……。

無い物ねだりによる被害者感情……それに伴う生け贄選定と攻撃参加の期待感はボリューム層の唯一の娯楽、『お祭り』なのである。

その哀しい集団の中に埋没してしまってる村人Aが……自分の、世界に一つの固有名詞を際立たせるには先ず……自分独自の『自分の台詞を獲得』する事が出発点となる。

唯一言で良い。

自分のキャラクターから湧き上がる自分の想いを発すること……それがその人の固有名詞が村人達という集団を抜けて独り歩き始める基点となる……。

独りで見る『自分の風景』の中を歩く内に……
暗く湿度高い嫉妬が……『良いなぁ!』というシンプルでサラサラの羨望・憧憬の念となり……やがてはそれが自己表現のモチベーションとなっていくのである……。
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