目の前の課題をこなしながら人はそれとは違う事へ思いを馳せている状態となる。これをマインドワンダリングという。
このことの心理学的意味合いは……僕にはよく分からない。
興味深かったのは?
その状態(マインドワンダリング)の時……満たされている心は『未来に彷徨う』ことが多く、惨めな心は『過去を彷徨う』ことが多くなるという下りだった。
僕は『元気を貰った?』なる表現が好きじゃなく『元気は貰うモンじゃなく自分が出すモン』だ!なぁ〜んてよく言ったものだった。
しかし……自分の活力を目覚めさせてくれる様なニュアンスを受ける人はいる。
そういう人は必ず未来的な視点で話すなぁ?……と感じていた。
一方で……自分から何かを奪いに来る人(テイカー)は必ず過去向きだった
そして実際そのことは過去にブログに何度か?書いたことがあった。
何故なんだろう……?
そしてある時期にハタッと気が付いたのだった。
テイカーは『新しい変化』を拒絶してるな?と感じるから会うと虚しさしか残らないのだと。
自力の変化を信じられなくなっている人なのである。
だからこそ人に頼り『新しさ』を貰いにやって来るのだと。
『前例主義』と言われる人達。
『今日を昨日によってアップデートし続ける』ことに主眼をおいて生きている人達である。
代表例として『イジメは無かった教育委員会』なんかが目に浮かぶ……。
先般……エリートは大乱期にはからきし意気地がない?という永守重信さんの記事を元に書いたけど……エリート?なる古色蒼然とした響きの人間達も『未来的変化』を果たせない資質に支配されているのである。
この人は……これから『変化しそうか?変化するのは無理と感じるか?』
何とな〜く感じるそのニュアンスは人間観察するのに十中八九間違うことはない。
昔……権威主義者のある校長先生が進学校と名高い高校に通う息子を連れて来た事があった。
その少年は聞きもしない学校名を言い胸を張った。『既に終わってるな?』そんなイメージ満載だった。彼は何処か?名の知れた大学へは進むかもしれない?
彼のフィジカルは時を刻んで生きていく。しかし既に彼のマインドは過去を生き始めていた。
親の古臭い権威主義に染め上げられた気の毒な少年は過去的に生きていくことを運命付けられていたのである。
自分に『変化の余地』を感じられなくなった人の興味は必ず自分以外の他人に向く。
『他人ニュース』ばかりを漁りながら今日を過去でアップデートして過ごすのである。
自分が今日、何をするか?より他人がなにをしているか?が気になり始めたら要注意。
さり気に始まるマインドワンダリング……。その風向きは過去か?未来か?……自分の精神状態を知るには格好の材料かも知れません。