サンチョパンサの憂鬱

努力……『やれば出来る』の大嘘

この国の『継続と努力シンドローム』について散々書いて来た……。

『努力教の提唱者』について、そういう人達は『突き詰めた努力をした事がない人』であると何時だったか書いた……。

本気で一心不乱に、何か一つの事に対して自分を極限まで運んだ経験がある人は
『努力というモノの功罪』を学んでいるからである。

彼等の提唱する『努力する!』は多くの場合『我慢しなさい!』と同義に強要される事が多い。
当然、何事に於いても『忍耐は必要』だが、ソレには『意義ある目的・目標』あっての話なのである。

形骸化してしまった目標に対してヒタスラ『我慢だけの日々』を送って自分を運んで慰めてる人が何と多いことだろう?

人は生まれてこの方……様々のマインドコントロールを施される。『教育だってマインドコントロール』なのである。
有益なマインドコントロールもあれば、弊害しかないモノもあるって事だと思う……。

そういう邪念、邪心から逃れて今一度、生まれたまんまの自分の特性を見付けるのは案外と簡単な方法がある。

様々の計算、打算、予断を退けて……残る『自分の本心』が『やりたいと望むこと』が勝算が高い分野であり要素なのである。

主役は取れないかも分からない。
しかしその分野には脇役なり裏方なりでも関連してる仕事の中でサバイバル出来る可能性が高いのである。

自分の『DNAが望むこと』には桁違いの能力が眠っているからである。
突き詰めた努力もした事がない努力教の教祖様の見立てより少なくとも信憑性はうんと高いのである。

ある年齢まで生きた人達は……『何が良いか?』と外を探すことを止める事である。

様々の努力教を初めとする『世の中の常識とされる邪宗』の汚れを落として、『まんまの自分を取り返す事』が先ず必要だと思う。

そうして見付けた『自分の欲望・願望』を始めるのである。
少なくとも……その世界は苦しくとも『努力』なんて言葉を必要としないのである。

全ては『興味の力』が推進力となるから
『自ら買って出る苦しみ』となる。
『挑みたい❗』というモチベーションがその人を前に進めてていくのである……。

『やっても出来ない事がある』を知りたいなら『我慢の領域の努力』なんて言葉に遊んでいては駄目。
トコトン演って見付けられる『大正解』なのである。

何が?出来るか?……それは自分の本心さえ知れば案外と簡単な事である。
その前段の……自分を様々の世の中の常識と言う邪宗から解き放つ事が……大変なのである……。

自分を信じられない?……。

それはまだ自分が世の中のマインドコントロール下に置かれ支配されているからです。
自分の『ホンマモンの欲求』を遂行し始めると、勝手に自分の興味と欲求が疲れを知らないエネルギーを供給するのですから……。自分を疑ってる暇など無くなるのです……。
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