そんな彼女達が視線を交わしながらヒソヒソやる振る舞いは日常的に何処でも目にする風景だ。
そんな淫靡な雰囲気は湿度高い空気を作り、排他的なニュアンスを醸し出している。
そこに居合わせた男が、何をおいてもそそくさとソコを立ち去ろうとするのは恐怖心からではない。
ひたすらに面倒臭いからなんだけど、彼女達は勝ち誇りながら何故か寂しい顔になる。
そうやって彼女達は自ら作り出す負のスパイラルで沈み続けるという哀しい人生を歩くのである。
『そういうもんだ!』という現実認識をしない限り、自作自演の被害者を演りながら生きていく事になる。
人生はスゴロクと似ていて、出た目によっては振り出しに戻されもする。才能や理不尽と思える条件も『そういうもんだ!』という前提条件として受け入れない限り、スパイラルの坂道を転がり続ける事になる。
誰でも、この世のそんな前提条件を明らかにして認識しない限り、受け手のない不満を絶えず抱きながら翻弄され続ける事になるのである。
解ったよ!それが条件なんだ!と受け入れて前に進む賽の目を狙って見るしかない。
哀しいけれど、ルール変更は一切してくれないのが世の中なんである。
一刻も早くその理不尽ごとルールを飲み込んで前を見ること以外、陽の目を見る事は出来ない。
どれだけ拗ねて見せてもお迎えはやって来ない。
哀しいけれど恵まれない女ほどあらぬ期待を抱いて拗ね続けてる。
冷静に客観的に自分の才能を読み解く事だ……。
拗ねて座して待ち続けるその姿は、冷酷な飼い主に捨てられた野良犬を見る様でひたすらにイタイ……。
『そういうもんだ!』には理屈はない。そのカテゴリーに自分を置けた人が……初めて自由を得る事が出来るのである。
潔くハンデを受け入れる事……それが
人生に反転攻勢を仕掛けるチャンスとなるのである……。
『同じ負のメカニズムを繰り返して来た』、という認識を得るためには、『独りになる事』から始める必要がある。
負のスパイラルを一緒に降りている人達から離れて身を置き……自分を俯瞰して見る。
客観的に自分を見るは辛い。
覚悟を決めてそれを押し退け、ソコで感じる痛みとか惨めさとかが……初めて情報となる。
そうやって欲しいのに『私に無いもの』……がモチベーションされるのである。
自分を大切にする?……それはイソップのキツネになって同病相憐れむのお仲間と『要らない理由』ばかりを捏造する事ではない。
『欲しいのに手の中に無い!』というモチベーションを自分に導くことなのである。
それが希望はゼロではないという可能性を手にする瞬間である。
当たり前の話だけど……欲しいなら求めること。
何時の世も……進む道の門は『叩けよさらば開かれん』であり希望は『求めよさらば与えられん』なのである……。