サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……『サイゼリアで喜ぶ女』という価値基準?(3)

自分の価値観を信じられない人間は『自分以外の何か』を『確固たる不動の基準』に設定して採用する。

そんな……世の中に溢れている格好のサンプルが権威とか?学歴とかを基準にして人を計ることしか出来ない人種であろう……。

昨日も校長先生が長年に渡る盗撮の罪で逮捕されてた。靴に小型カメラを仕込むといった念の入れようである。

これは彼自身が『校長という権威?』に酔いしれてしまったことによる哀しい人生の結果なんだと思う。彼は『校長という立場』を手に入れて安心・慢心してしまったんだろうなぁ……。

問題は……『校長先生の私』ではなく『私はどんな校長先生か?』だった筈なのにね?

『サイゼリアで喜ぶ?』というサイゼリアを動かぬ価値基準に設定してる時点で……この御仁はアウトなのだと思う…。
『人によって』サイゼリアの価値は縦横無尽に変化させ動かせるからである。

何時だったか?イケメン渡部建君というお笑い芸人のスキャンダルがあった。
その時、『多目的トイレ』という場所設定について書いたことがあった。

彼が何処かの国の王族・貴族の女を口説き落として、逢瀬の場所として多目的トイレを設定したなら、最高のギャップ『非日常感覚』を、相手の女にプレゼン出来たであろうに?……と。

安い週刊誌に、エログロネタとして売り飛ばす様な…汚いトイレ見たいな性根の女を連れ込む場所として、多目的トイレを使ったのは余りに、『ありふれた日常的価値観』過ぎたのである。

渡部建は多目的トイレの価値を……帝国ホテルのスイート以上に高め演出する事が出来ない男だった。単に『只で済む安い場所』としてしか使えなかったのである。
多目的トイレを多目的トイレとしてしか使えなかった彼の敗北である。

『自分の美学・ロマンが基準』の男ならソコに妥協は一切しないのである。
多目的トイレであれサイゼリアであれ……相手次第で『王宮の奥の間』に仕立て上げて使い熟(こな)す筈だと思う。

『基準』っていうのはね?不変なのです。動かせないモノなのです。
イケてる人間は……何時でも何処でも不動の『基準は私』なのです。

店や権威やプライス何ぞに微動だにしない『不動の価値はその人の矜持・美学』だからこそ、人が詰まらない?と安易に決め付けるモノを場所を『変化させ動かし』付加価値を与える事が出来るってことなのです……。


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