犯人宅間 守は既に40歳で死刑執行され母親も16年に死去……父親は事件後酒乱気味となり現在は入院中……とあった。
当時六年生の担任だった現在の校長先生が安全に対する意識が低かった?とか様々の反省を述べていた……。
『侵入者に対する対応』の様々が載っていたけれど……ま、物騒な世の中故に……当たり前として備えるってのは理解する。
何時だったか?書いたけれど、『宅間の生まれ、育ち方』を自分がしたならば……自分もまた『社会への復讐事件』の某かを犯してたかも?……いや、犯してただろうと想像したのを覚えている。
母親のネグレクト、父親の徹底した暴力……想像力なんてモノじゃその悲惨さはカヴァ出来ない事だけが認知出来るのである。
山口県光市の母子殺害事件の当時少年の育ち方もまた宅間同様に悲惨なものだった……。
8人もの幼き犠牲者……どうしてもセンセーショナルで興味、印象は強い……。
一方で、日常的イジメによる幼き自殺者を出しながら『無かった事にする学校教育文化』によって人知れず報われる事もなく消えていく小さな命。
それにはとても傍観者的無関心を感じざるを得ない。
イジメは無かった!とされ消えていった命達はこの20年間で何人を数えただろう……。
とても……8人どころじゃないでしょ?
何とかイジメをかわしながら不登校、人間不信、引き籠りへと追いやられた少年少女達の中に……『誰でも良かった殺人』という社会への復讐感情を仕込んでいる人間がいるかも知れない……。
暴漢に『襲われたら?』と準備・用意するのも大事でしょ?沢山の小さな命を預かってるから……ね。
でもね?教育の主眼は『無闇に人の命を襲い奪わない人間』を育む事にあるんじゃないか?って思うのです。
『陰湿なイジメがある!』ソコを受けいれ認めて正面から対応する学校でない限り……無慈悲な暴漢候補生を次々に世に送り出す結果となる……そんな気がしたのです。