サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……昔……

昔……それじゃ?コレからどんな時代になると思う?ってな話になると……僕は訳知り顔で『哲学出来る時代』だと思うと応えてた……。

今みたいに持続可能な社会の必要性からじゃなく……『衣食足りて礼節を知る』?そんな感覚から導いた予想だった気がする。

一方でエントロピーを持ち出し、生産は価値を足し算してると思ってたら、地球からの引き算だった事に皆が気付いた!
70年代で経済活動の法則の捉え方は変わったのだ!……なんて消化不良のまんま話してた。

今……マルクスガブリエルの倫理資本主義の本を借り受けて読んでいると……話してた事全部が現実の事になったのを実感する……。

人類は増え過ぎた。人類は生産し過ぎた。人類は分断し分断され過ぎた。
人類は消費し過ぎた。
人類は収奪し過ぎた、人間からも地球からも……。

この国は今なお経済原則をまんま人生の原則に据えなきゃ間に合わない、レールから振り落とされる……。
『標準から脱落してしまう!』という強迫観念に支配され、自己評価は『同調圧力』を基準にして生きている。

この生き方の何処に哲学がある?アートがある?
『見当たらないから必要』なのである……。

形而下の権化、カネの数量・効率のみを基準に運営されたグローバリゼーション経済。
形而上の要素は『非効率』と決まっている世界観で走って来たのである……。

『数量の追及』が地球という数量の総量の限界をもたらした。

数量化出来ない幸せモデル……『幸福感』
、『心の充足感』……。
他者と引き比べられない個の感性と……その相互尊重をベースにした『共有』、『共感』、『共生』……その『数量化出来ない価値基準』を食料、給料、燃料……などの生きる為に絶対必要な数量の活動との最適を模索しなきゃならない時代……。

アートする、哲学する企業でなければコレからはサバイバル出来ない!……なんてコンサルティング会社は慌ててデザイン企画会社を買収に走ってるのだとか?

実際今読んでるマルクス・ガブリエルさんも哲学者でありながら、ドイツの大企業の形而上・形而下の『最適化』の模索に参画し活動している……。

まさか『哲学出来る世の中』じゃなく『哲学出来なきゃ生きて行けない時代』が来るとは思わなかった……。


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