愛宕神社からの流れで姉と夫と3人で、目黒区にある大鳥神社に向かいました。
大鳥神社は双子の姉が行きたいと言っていた神社なのですが、双子の姉と予定が合わず、一番上の姉と夫とお詣りしました。



大好きな神様ばかりをお祀りしてました。

日本武尊は父である景行天皇に、その荒々しさを恐れられ、西に東に赴くよう言われます。


御祭神は
日本武尊
国常立尊
弟橘姫命(日本武尊の妻)
であります。

末社には
倉稲魂命
素戔嗚尊
火産巣火神
水速女命
が祀られていました。

大好きな神様ばかりをお祀りしてました。
由緒ある神社ですね。。。
そして、この社紋。
日本武尊の霊が白鳥としてあらわれ給い、鳥明神として祀る
と紹介されています。
鳳凰の紋です。

日本武尊は父である景行天皇に、その荒々しさを恐れられ、西に東に赴くよう言われます。
西方の熊襲(くまそ)を討ち、さらに東方の蝦夷(えみし)を制圧しますが、大和国(奈良県)に帰る途中で倒れ、白鳥になって天に帰ったという伝説があります。
日本武命はお父さんが大好きだっただけなのに、愛する父から見放され、何だか可哀想な気がしてました。
ヤマトは国の名前で、タケルは勇猛な人という意味です。
勇敢だといわれなくとも、ただ父に褒めて愛してもらいたかったのではないかと。。。🥹

景行天皇は西方から帰ったばかりのヤマトタケルに、「今度は東方の蝦夷を討ちに行け」と命じます。
父から遠ざけられていることを察したのでしょうか、ヤマトタケルは叔母にこう弱音を吐いています。「天皇は私が死ねばよいと考えているのでしょうか」
叔母の倭姫命は、伊勢神宮に仕える斎宮です。
個人的に倭姫命は大好きな神様です。
倭姫命は須佐之男命がヤマタノオロチを退治した伝説の神器、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)をヤマトタケルに授けて励まし、また「困ったときに開くように」と袋を渡して送り出します。
西に東に熊襲征伐や蝦夷征伐に赴きます。
叔母の待つ伊勢へ、そして大和へ帰りたいと、ヤマトタケルは杖をついて歩き続けました。
けれども伊勢の能褒野(のぼの)という地で歩くことができなくなり、最期を迎えます。
伝説はヤマトタケルが白鳥に姿を変えて、大和の方へ飛んで行ったと伝えています。
やっぱり可哀想ですよね🥲
立派な御神木がありました。

そしてこちらに看板がありクシの紹介をしていました。
櫛(クシ)は幸運のシンボルとされてきたとあります。


この櫛(クシ)ですが、尊い神様の名前には櫛が入ってます。
饒速日命こと別名 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
勢夜陀多良比売こと別名 玉櫛媛
事代主こと別名 玉櫛入彦厳之事代神
素戔嗚様の奥様奇稲田姫こと 櫛名田比売
櫛は幸運のシンボル✨💖🫧
大山祇神の子孫の姫を妃に迎えた夫神と、大山祇神の子孫神やにこの名前が見られます❣️
事代主様のお名前ですが、セヤダタラヒメのところに婿入りして格が上がったよ。。。みたいな名前ですね🥰



以前、姉のみた夢の絵から大鳥神社が紹介されてました。
大鳥神社を知らないで、この夢をみたというからオモシロイですよね。
それで大鳥神社に辿り着いたと。
この鳥のマーク、何か神様からのメッセージですかね🧐

そして、姉の神様調べが始まります。
私も、神様のことを調べるのが大好きなので、二人の会話はかなりマニアックで変わった双子です😂
神様がみえるとか、声がきこえるなんて力が二人ともないから、片想いのようにコツコツと調べて近づくしかないのです。
でも、答えをダイレクトにもらったわけでないから、間違ってても許してもらえそうで、空想話に花を咲かせます。
気がつくと繋がった‼️みたいなこともあり、神様の導きに勝手に感謝しています❤️
そう言えば、長髄彦の記事でも大鳥神社を紹介してました。
鳥といえば、、、
実は、颯爽と勇ましく優雅に目の前を右斜め上に横切るカラスを観ました。
あまりにかっこよくて美しかったです。
姉が言う烏はこれだ!と思いました。
遂に私も烏さんにお友達と認めてもらえたのかしら🥰
頭の良い鳥が烏。黒いから不吉だとネガティブな印象を持つ方も多いと思いますが、どんな鳥も実は神様のお使いだったりするのです。
人間も然り。嫌な相手も自分の成長のために現れた神様のお使いかも。。。
人間の決めつけ、思い込みが、対象物を邪悪なものと決めつける事ってありますよね。
でも、実はそう思う心が邪かもしれません。
全て神のつくりたもうたものですから💖
以下、大鳥神社のHPより。
景行天皇の御代(西暦71~130年)、当所に国常立尊を祀った社やしろがありました。
日本武尊は景行天皇の皇子であり、天皇の命令で熊襲を討ち、その後に東国の蝦夷を平定されました。
この東夷平定の折、当社(大鳥神社)に立ち寄られ、東夷を平定する祈願をなされ、
また、部下の「目の病」の治癒を祈願されたところ、首尾よく東夷を平定し、部下の目の病も治り、
再び剣を持って働くことができるようになったので、当社を盲神(めくらがみ)と称え、手近に持って居られた十握剣(とつかのつるぎ)を当社に奉り、神恩に感謝されました。この剣を天武雲剣(あめのたけぐものつるぎ)と申し、当社の社宝となっております。
当社の社伝によると、「尊の霊みたまが当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神とりみょうじんとして祀る」とあり、
大同元年(西暦806年)には、社殿が造営されました。当社の社紋が鳳凰ほうおうの紋を用いているのは、このためです。
日本武尊の祈願成就の由緒により、目黒の祈願所といわれます。
また、江戸図として最も古いとされる長禄の江戸図(室町時代)には当社は鳥明神と記載されております。
尚、この江戸図に記載されている社は九社しかなく、当社は江戸九社の一つに数えられております。

お詣り出来て良かったです❣️