真理とは何なんだろうと最近考えます。
聖人の生きた姿は、どこか軽やかであり、何も望まず、愛そのものであります。
自分を削ぎ落とし、我欲を捨てきったところに、どんな欲もいらないと思えるほどの尊くて美しい真理があるのではないかと、そんなふうに今は考えています。
それはきっと素晴らしい境地だと思いますが、そう簡単には辿り着けない境地ですよね✨🫧
その境地に少しでも近づくこと、辿り着く事が生まれてきた意味であり、天の命ずる人の歩む道なのかもしれません。。。
我欲を無くす。
これまたなかなか難しいですが。
時々思うのです。
どんなに着飾ったツンとした美人より
素朴な方の内面から滲み出る雰囲気が美しいと。。。
持ち物が少ないから、きっと軽やかなのです。
フワフワな感じです。
持ち物の量と心配事の数は比例しているのかもしれません。
心配事や悩み苦しみが多いと、鉛を背負ったかのように重くて沈みますよね。
それなのに、人は持ち物を増やそうとします。
軽くなると、悩みが少なくなり、自分の中に空観ができ、神様と繋がりやすくなるのかな。。。なんて思ったりしてます。
自分の内面を綺麗にしないと、神様も繋がりようがないですよね。
私の神様が私と話したがってるといわれた事があります。
これが出来ないのは、私の問題だと思ってます。
その事を教えて貰った時から、内なる神と話してみたいとの欲もあります。笑
テクニックではないのです。話せないのは磨き足りないだけなのです。。
人生をかけて身魂を磨かなければと思ってます。
フワフワと軽やかな人になれるように。
そして、内面から滲み出る雰囲気が美しい人になれるように。。。
頑張ります💖