第84番札所の屋島寺の歴史は、律宗の開祖である鑑真が天平勝宝6年(754年)朝廷に招かれ奈良に向かう途中に当地を訪れて開創し、そののち弟子で東大寺戒壇院の恵雲がお堂を建立し屋島寺と称し初代住職になったといいます。
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屋島は那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られており、屋島寺はその南嶺にあります。
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駐車場からの入口は朱塗の立派な東大門になります。
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駐車場からの入口は朱塗の立派な東大門になります。
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鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。
翌年、東大寺に船で向かう途次、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたという。
のち和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立して精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職になった。
弘仁6年(815)、弘法大師は嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願を受けて屋島寺を訪ね、北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に移し、また十一面千手観音像を彫造し、本尊として安置した。以後、大師は屋島寺の中興開山の祖として仰がれている。
紹介HPより
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朱塗の東大門をくぐると十一面観音様がお迎えしてくれます。
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中央に千手観音、その背後に千体仏がある千体堂です。
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御本尊 十一面千手観世音菩薩
本尊真言 おん ばさら たらま きりく
ご詠歌 梓弓(あずさゆみ)屋島の宮(みや)に詣でつつ 祈りをかけて勇む武夫(もののふ)
本堂は1618年に建立されたものですが、一部は鎌倉時代に建てられたものが残っていることから、重要文化財に指定されています。
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大師堂です。
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蓑山大明神です。
祭神は日本三大名狸に数えられる屋島太三郎狸で、蓑笠をつけた老人の姿で現れて弘法大師を案内したとされています。
ジブリ映画にも登場した、日本三大狸屋島の太三郎狸が祀られているのもこちらです。
太三郎狸は屋島で道に迷った鑑真や弘法大師を案内したり、屋島に凶事が起こるときには、住職に知らせるなど数々の善行を積んだとされています。
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蓑山大明神の奥には朱塗りの鳥居が並ぶ参道が続き、屋島稲荷があります。狸と狐が同じ境内で祀られていました。
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熊野権現社です。七福神が祀られています。
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くるりとまわって入ってきた方向を眺めます。
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四天門です。
車で屋島へ来た場合は立派な東大門から屋島寺に入りますが、歴史を感じるたたずまいの四天門が正式な入口のようです。
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四天門のさらに手前には仁王門があり、歩き遍路の場合は仁王門から四天門を通り本堂へ参拝となります。
こちらが仁王門です。
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歩き遍路の方向から歩いていくと水族館があったりして、修学旅行かなと思われるような子供たちがバスでやってきていました。
海が一望できる展望台がありました。
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こちらを後にして車を走らせると、源平屋島古戦場の看板があり、景色が良かったので停めてもらいました。
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こちらを後にして車を走らせると、源平屋島古戦場の看板があり、景色が良かったので停めてもらいました。
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昔々はこの場所で日本人どおしが、馬に乗って戦ってたと思うと、そんな時代が終わって良かったなぁと思います。
人とは争わず仲良くが一番大切ですよね。