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お山にお宮がたちました

四国別格二十霊場 第12番札所 いざり松延命寺

別格十二番札所に着くと、もう夕方になっていました。
一箇所一箇所が離れているから、車で周っても一日で二、三箇所が限界です。この日は日帰り。それでも四国に住んでいるから有難い事です。



延命寺に着くと住職さんが掃除をしていました。気さくな住職さんで、ご挨拶をすると、どこから来たの?という話になり、高知からと言うと、高知の知り合いの話をしてくれました。

そのお方は、数年前お亡くなりましたが、地元でも有名なお方で、主人もその方を知っていたものだから少し立ち話。
なんて気さくな住職さんだろうと思いました。



延命寺の縁起によると、開創は奈良時代に四国を巡錫した行基によるものと伝わり、その後平安時代に空海もこの地を訪れ、自ら松を植えたそうです。

弘法大師が四国を巡錫中、延命寺を訪れた時、衆生済度を誓って一本の松を植えました。



その松を植えたしばらくのちに、再度空海がこの地を訪れたところ、松の木の下に足が不自由な人がいて、その様子を憐れんで、空海は千枚通し霊符を創札し、その一枚を水に浮かべて飲ませたとそうです。
すると、たちまちに全快し、感銘したこの人物は空海から得度を受け法忍という僧名を授かったと伝わり、この地で千枚通しの霊符を継承したとのことです。

この千枚通し霊符は現在でもお寺で授かることができ、朝夕祈念しながら水を飲むと病気平癒・安産のご利益があるとのことで、多くの参拝者がこれを授かりに訪れているようです。

感動🥹



この伝説から、大師が植えたこの松を「いざり松」と呼ぶようになったとか。



足が不自由で立たない人という意味の「いざり」と、松の枝が重なり合って伸びている様子を伊与の方言で「いざる」といい、これらが「いざり松」と呼ばれる所以のようです。



明治時代には枝が傘状に東西30m・南北20mに広がっていたという巨大な松の木は地元では「土居のいざり松」として親しまれていましたが、昭和43年(1968年)末に枯れてしまい、現在は幹だけが横たわり往時をしのばせています。



帰りもまた駐車場まで出てきてくれて、お話の続きを主人としていました。
そんな気さくな住職さんとの出会いにも感謝です❤️

人との出逢いは一期一会かも。
どんな小さな出逢いでも、すれ違いでも、相手の心にせめてプラスの気持ちを置いていきたいものです。




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