さて、荒ぶる神として古事記で描かれる素戔嗚尊ですが、出口王仁三郎さんの口述を記された「霊界物語」を紹介させて頂きます。
この物語は大霊覚者であった故人出口王仁三郎さんが、霊界を探索した時のお話を書いていて、スケールも内容も壮大です。
ただ、要点をかいつまんでいうと、
主人公の素戔嗚尊が、地上天国「みろくの世」を創るために、地球上の争いを言向け和し、太古の神代に邪神によって追放された艮の金神=国常立尊を再び地上神界の主宰神として復活させる物語
なんですね。
「言向け和す」とは、暴に対して暴で報いるのではなく、言霊(ことたま)の力で相手の気持ちを和(やわ)して行くことです。
霊界物語は登場人物(神様)が多すぎて名前もコロコロ変わり、途中から??だったのですが、「あらすじで読む霊界物語」を買って、それを片手にあらすじの方をやっと読み終えました😂
「言向け和す」のは、素戔嗚尊ではなくその弟子である宣伝師達なのですが、世界各地で神の布教をしていくんです。
その布教が強制するわけでなく、姿や行いなどを見せ、優しく包み込み、悪い心を溶かしていく感じなんです。
ガミガミ怒るのではなく、木の上に立って子供をみるのが親で、その姿勢を子供に見せて育てるのが良いといいますが、まさにそんな感じが「言向け和す」ですね。
それが素戔嗚尊のやり方だとしたら、牛頭天王であらわされ角があり強く怖そうにみえますが、心根の本当に優しい神様だと思います。
少し出口王仁三郎さんのお言葉を紹介しますね。
『世の中に善というものは愛より他にない。
最も力の出来るもの、総て成功するものは愛と善だ。
キリスト、ムハメッドは愛を説き、
仏教は慈悲を説き──これも愛だが孔子は仁──仁ということは隣人を愛するという事で、
仏教もキリスト教も愛を経たてに、善を緯よこに説いている──キリスト教はそれで十字架なのだ。
総ての宗教は愛を経に善を緯に説いている。
人類愛善ということは、各既成宗教及び今までの道徳教の総てを一つにまとめた、まあ言うたら抱擁したのだ、肝腎のエキスをとったような名である。
仏教とかキリスト教とかは、米みたいなもので、米の中から出た酒の汁が愛と善なのだから』
出口王仁三郎さんは素戔嗚尊の御霊と言われていました。
お孫さんの出口和明さんが書かれた「大地の母」で描かれる王仁三郎さんは賢くて、多才で、カリスマ性があり、周りの皆んなを取り込む力があり、魅力的で優しく面白くて。
そのカリスマ性ゆえに誤解されましましたけれど、時代が追いついていなかっただけで、そんな出口王仁三郎さんに素戔嗚尊を重ねて想像させてもらいました。
悪さばかりしたなどと前置きでいわれる神様なのですが、母神である伊奘冉命が素戔嗚尊に向かって貴方の御霊が美しくて優しいのはわかってますと言ったとか書かれてました。
そんな中、世の中の悪事がはびこり、それを正すため、地中のミミズとなって、暫く根の国底の国で働いてきますと地中にいかれた大地の神様。
皆んなに誤解されようとも、世の為人の為に愛を持ってお役目を果たしてくださっている。。。🥹
大きな御神木をみると素戔嗚尊を思います。
そんな素戔嗚尊が私は大好きです。。。
おしまい
※画像は検索画面よりお借りしました