水子供養と アセンションに向けての意識改革ブログ

命の大切さとともに
ライトボディのことや
意識改革 霊的なことについて
かなりディープな内容になります

失ってから気付くもの

2015-05-24 15:46:05 | スピリチュアル

今回の金魚のマナちゃんが死んだことは、
わたしにとって、今までにないシンシンとした出来事でした。

失ってから気づくもの。
それは人でも物でも、動物でも虫でも、なんでもそう。

なんで?という理由付けはいらなくて、
ただ、今日は悲しい日です。

主人と神社に行ったついでに、公園に行きました。

靴をなくした三人男兄弟。ママに叱られてました。
隣のベンチでは、お身体の不自由な女の子が、お祖母ちゃんに見守られてパンを食べています。
俯いて、とても悲しそうにゆっくりと食べています。

むこうの方で、シベリアンハスキーを散歩させている若いママが、
3歳くらいの男の子も連れて、たんぽぽの綿毛を男の子にプレゼントしています。

目の前では、4歳くらいの男の子が、一生懸命自転車の練習をして転んでいます。


こういう悲しい日は、
外に出て、こうした沢山の人々を見て、
見ず知らずの皆さんに、慰めてもらっている気になりました。

人は、
ひとりで良い気分で生きていくのに
限界があるのではないかしら。

家族がいて、一人でも支える誰かがいて

マナちゃんには、わたしたちがいたんだよ。
そして、わたしたちにも、マナちゃんがいました。

一回も言葉を交わさなくても
あの子の動かすヒレたちが
口々に
ママ ママって言っていた気がする。


失ってから気づくもの

今日はなんだか、次から次へと涙が出てきてしょうがありません。


困った日です。
.



金魚の死

2015-05-24 08:18:16 | 日記



餌を食べなくなってから、もしかしたら・・とは思っていた。

白い金魚のマナちゃんが、昨日死んだ。

浮いているのを発見した時、やっぱりそうだったか・・という諦めの気持ちと、静かな重たい悲しみを感じた。

マナは、わたしたちの家族だった。
昨日の朝、主人と一緒に呼びかけたら、こっちに来て、上を向いてヒヨヒヨ泳いでいる。
頭をそっと押すと、そのまま沈んで、じっとしている。

うちの4番目の可愛い娘でした。

昨日洗濯物を干している時、フローリングの上を、小さなアリが2匹歩いていた。
ティッシュにくるみ、庭に戻した。
また2階に上がると、また2匹いて、また庭に戻す。

この家の、どこに住んでいても、みんな同じ命で、家族だと、最近思う。
前はそんなこと思えなくて、小さな家の中のアリはつぶしていた。
でも今は、縁ある存在だと感じている。

沢山のものに気持ちをかけると、切なさも増えるけど、ぬりえの絵が増える。
世界に色がついていく気がする。

今日はお墓を作ります。

もう生き物は飼えないなあ。。