今回の金魚のマナちゃんが死んだことは、
わたしにとって、今までにないシンシンとした出来事でした。
失ってから気づくもの。
それは人でも物でも、動物でも虫でも、なんでもそう。
なんで?という理由付けはいらなくて、
ただ、今日は悲しい日です。
主人と神社に行ったついでに、公園に行きました。
靴をなくした三人男兄弟。ママに叱られてました。
隣のベンチでは、お身体の不自由な女の子が、お祖母ちゃんに見守られてパンを食べています。
俯いて、とても悲しそうにゆっくりと食べています。
むこうの方で、シベリアンハスキーを散歩させている若いママが、
3歳くらいの男の子も連れて、たんぽぽの綿毛を男の子にプレゼントしています。
目の前では、4歳くらいの男の子が、一生懸命自転車の練習をして転んでいます。
こういう悲しい日は、
外に出て、こうした沢山の人々を見て、
見ず知らずの皆さんに、慰めてもらっている気になりました。
人は、
ひとりで良い気分で生きていくのに
限界があるのではないかしら。
家族がいて、一人でも支える誰かがいて
マナちゃんには、わたしたちがいたんだよ。
そして、わたしたちにも、マナちゃんがいました。
一回も言葉を交わさなくても
あの子の動かすヒレたちが
口々に
ママ ママって言っていた気がする。
失ってから気づくもの
今日はなんだか、次から次へと涙が出てきてしょうがありません。
困った日です。
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