水子供養と アセンションに向けての意識改革ブログ

命の大切さとともに
ライトボディのことや
意識改革 霊的なことについて
かなりディープな内容になります

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2015-06-11 10:05:20 | 気付き
最近、子供に言っていることがある。

心から、人にしてあげたいと思うことは除いて、
これをしたら喜ばれる、これをしたら自分が良い人と思ってもらえると思いながら
重たい役を引き受けたり、何か自分が犠牲になることは

全くもって必要ない。することないって。

それは、わたしが充分経験した。

そうすることで沢山の人が救われたり、助かったりすることは徳に繋がると思うし、
それをしてはいけないとは絶対言わないけど。
それが、結果的に自分の進歩や満足に繋がると思えることは、どんどんしたほうがいいと思うけど。

でも、それで自分が鬱々として、逆恨みとか、やらなければ良かった・・と思うのであれば
した意味がわからなくなってしまう。

そして、
どうしても、気持ちが乗らないから、とか、
どうしても行きたくないとか、
わたしがこうしたら家族の中に、犠牲になるものが出るとか、

そういうものがある場合、行かない方がいいし、やらないほうがいいし、引き受けないほうがいいんだって。


結局断って、自分がやらない役割を、
他の人がすることになる。
でも、それは、他の人にとっての初体験だったり
奉仕の経験だったり、学びになっていたりする。
自分が嫌々することより、ずっと進歩的。

そのくらいに考えて、
もう、自分が損すればいいっていう考え方そのものを辞めたい。


それが、やりたいことであれば、良いと思うけど、
要は、良い人はやめようっていうシンプルなことなのです。


何か目の前にあることに対して、選択に関して、
どう考えても必然であり、取り組むべきと思うことには全力で取り組む。
自分のためだと思えることは、潔く真っ直ぐに。

そして、もしかしたら大変だろうけど、これに取り組むことで、
自分の魂が本当に喜んだり、
自分が活きることを、感じられて、自分が喜ぶんだろうなってことは
迷わずに進んで欲しいと自分にも子供にも思っている。


その潔さと、世界や他人に対する媚びを排除する我儘を、
子供達も自分も持っていたい。


すごく世渡りのうまい人がいる。
シャランとその場を免れて、のうのうとしている人がいる。
周りを気にする人がいる。
周りによく思われたくて、感謝されたくて、自分にあえて損をさせてしまう。


どっちが良いじゃなくて、どっちも良くない。


だから、自分の軸棒をしっかりと持ち、自立して生きていく。
断る力、自分を活かす力、きちんと見ることの出来る力。

そのやり方を、これからも子供達と模索していきたいと考えています。