水子供養と アセンションに向けての意識改革ブログ

命の大切さとともに
ライトボディのことや
意識改革 霊的なことについて
かなりディープな内容になります

お金とはなんぞや

2015-06-25 09:53:31 | スピリチュアル
自分の命はプライスレスですと、誰もが言うと思う。
わたしの命を1億円であげますという人は誰もいないはず。
でも、少し自分のことにお金を使うだけで、諭吉だともう震えていたわたし。
主人の顔も浮かび、申し訳ないのオンパレードだった。

使うものといっても色々あるけれど、
使うもので自分が心底ご機嫌になれたり、
自己開発に繋がったり、自分が活きる、できると確信できるものであれば、

この短い人生、高いということは無いと感じている。

子供のことには、生活費には全くお金を使うことに関して躊躇しない。
でも、自分のことに関して、どうも壁が厚かったけど。

そういう考え方とも、おさらばしよう。

使ったお金に感謝して、それに見合う価値ある自分だと思うことにする。

今や、お金と活きるということは、切り離せないものになっている。

人に会うのも、自己啓発も、何かを買うことにしても、

散歩して青空を見たり、家の庭の草を抜いてグラウンディングしたりすることはタダだけど、
神社に行ってお賽銭をあげることにもお金は使う。

生きるということにお金はつきものであるならば、
もっと見ていって、お金は私自身の価値に比例するものであるならば、
高いとか安いとか、使っちゃもったいないと思うことがどうなのか。

行動を制限する必要はない。
そして、使うお金があることに心から感謝していこうと思う。

お陰様で使わせてもらうではなく、
お金と自分は一心同体だから、
命と同じく大切に使わせてもらうけれど、
命はこんこんと湧き出る愛そのものだから、
お金も使えば必ず入ってくる!!と固く信じることも素敵なこと。


そもそものお金に対する概念を・・

お金はお金であるけれど、
綺麗汚いはないけれど、
でも実際、お金が自分の身体を通り抜けていったことで
それが食べ物や衣服、学習、家に形を変えていったことで
今自分がここにいるのであれば・・

お金は愛の花束だと思う。

お金に対する見方が変わることで、
減らないか、もう来ないではないかとは思えない。

有り難く使わせてもらい、自分を活かす。
働くというカテゴリーだけではなく、
活かされた自分で隣人に微笑む。
子供に優しく、自分が一番ご機嫌でいること。

そうすれば、もっと使ってねとお金はやってくると思っている。


自分にお金をかけることは、罪でもなんでもない。

必要な時にはしっかり使い、それを自分のアクセルにして思い切り進んでみよう。
しっかり癒すためにも使おう。

お金はこの星で、命を活かすために流れ続けている
愛の花束なのだから。