水子供養と アセンションに向けての意識改革ブログ

命の大切さとともに
ライトボディのことや
意識改革 霊的なことについて
かなりディープな内容になります

日々雑感

2015-04-16 18:55:50 | 気付き
日々生きていると、自分ではなくても、家族が、親戚が、怪我をしたり色々。
手をかしたり、動く中で、今日車に乗りながら、なんかすごくわかったことがある。


今まで自分が生まれた中で、わたしは、何か一発ドカンと、花火を打ち上げなければいけないと思っていた。
書籍の出版、お金を儲けること、それによって家族を幸せにしていくこと、何か自分が輝くことが、必要なのではないかと思っていた。


でも、そんなことしなくても、わたしは充分、愛されている。
今のままで、このままで、ありのままのわたしで、本当にいいんだって、車の中で思った。

これは、あくまでわたしの持論だから、ふ~んと聞いてもらえればいいんだけど、
なんか、躍起になることから解放された。
○○しなければならない、という、自分が生きていく中で、この人生の証明のようなものが、
欲しいと思わなくなった。
このままゆっくり死んでも大丈夫というような、今の自分にokを出せた。
何か特別、すごいことを今しているわけでもなく、バリバリ働いているわけでもない。
でも、3人の子供と一人の旦那さんと暮らす中で、それなりにやることも出てきて、お世話することも出てきて、それと向き合うことで、自分が生かされているのを感じる。

もっと丁寧に暮らすというか、一日これだけやったんだからという証明が欲しくなくなった。
それは、怠けるというものではなく、もっと優しい何か。
自分に対して向ける眼が、厳しかった昔に比べて、優しくなった。

車に乗りながら、天使に立会人になってもらった。

今あるだけのお金、足りるならばそれで充分です。
この人生の中で、自分が花火をドッカーンと打ち上げて有名にならなくていいです。
証明はいりません。心静かに暮らしていきます。

そんな中で、授業参観があり、行った。
今までは、みんなと仲良く・・というものがあったけど、それもどうでもよくなってた。
誰と話さなくても、ゆきおが見れればいいと思ってた。
そしたら、何人もが自分から話しかけてきてくれた。
不思議な感覚だった。

自分の顔に戻るんだな。

それは、他人向けの笑顔が無くなっていくものかもしれない。
でも、それは、わたしにとってとても嬉しいことで。
わたしも飾り気のない人がずっと好きだった。

そういうふうに、わたしもなれるのかもしれない。

まだまだ握るものは多いけど、少しずつ手放していこうと思っている。





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