今回はちょっと、ショッキングなお話しです。
最近、母から聞いたお話なのですが、
わたしの叔父の水子のお話です。
母の弟にあたる叔父は、30歳半ばで突然、くも膜下出血でこの世を去りました。わたしと同い年の娘を残して。
わたしにとっての叔父ですが、叔父には4人の水子さんがいたそうです。
流産ではなく、意志の上での堕胎だったそうです。
母が、4人目の子をお腹に宿し、叔父に報告したところ、叔父はこう言ったそうです。
「なに、姉ちゃん。4人目なんて、経済的にこれから大変だろう。
おろしちまえよ。」
このとき、母は耳を疑ったと言っています。
代々、わたしの母の実家は神道であり、とても信仰深い家なので、祖父も祖母も、沢山人を助けた家でした。
先祖供養を欠かさず、朝は神棚に向かい、家族や親せき一同の平和を心から祈る祖父の息子が、どうしてこういうことを言うのかと思いますが、
大事なこととして、そういう魂の話、先祖供養のこと、輪廻転生、水子の痛みなど、全く持ってわからない人がいます。
それは、良い悪いではなく、ただ知らないだけなのです。罪の意識もありません。
でも、無知の罪というものは、そこから現象的に叔父を苦しめます。
母の両親と母は、叔父の死後、水子それぞれに名前をつけ、ずっと供養し続けてきました。
とても信仰の深い家に生まれた魂は、きっと「望みの大きい魂」だったに違いないと思います。
この家に生まれれば、こういうことが出来る。応援してもらえる。と、確信して、
わたしたちと同じように、大きな青写真を携えて、「お腹に生まれる」のです。
それを、いち人間の、ちっぽけな頭の世界の、ちっぽけな器の経済論で、一瞬にして抹消された時の、
わたしのいとこになるはずだった「あの人たち」は、
たとえ父母ではない人たちに供養されようが、名前をつけてもらおうが、
何より、その父である叔父の、「心」が許せなかったのだと思います。
一人娘の従妹がいますが、幸せな家庭を築き、3人のお子さんもいます。
けれど、本人の体調は思わしくないのです。頭の病気は先祖が関わるとも言われていますが、
本人もまだ、供養ということの意識がないので、時がくるのを待って、母から言ってもらおうと思っています。
そして、叔父が、歳若く亡くなったのは、もしかしたら、これから続く後の代に、この罪をかぶせないように、
叔父が魂で判断したのか、そうさせられたのか、さだかではありませんが、
いずれにしても、自分の身辺にそういう体験があったので、書かせていただきました。参考にしてください。
大切なのは、当事者である父と母の、心からの思いが、供養であるということ、
そして、堕胎の責任は、それを判断した人間たち一人一人にあるということです。父親はその最たるものです。
男性は、女性と違い、堕胎の痛みも身体の変化も感じません。
けれど、その原因を作ったのは、男性のほうにあります。
周りに言われて泣く泣く堕胎する女性も多いのです。でも、水子は、母親が恋しいので、母親をすがって来ます。
水子は、先祖になるはずの人たちです。いわば、わたしたちの先祖です。
供養の仕方は異なりますが、先祖供養と同じ意義を持ちます。
先祖と我々の関係は、一人の人にちゃんと家系図が存在し、この世の人間関係となんら変わりはないのです。
だから、長男の家にお仏壇があるからうちはいらないというものではなく、
たとえ独り暮らしであっても、お仏壇を持ち、朝にお水を換えたりして、
ご先祖様との交流の場を持つことで、護られたり、アンテナを立てることになりますから、
開運になることは、事実です。水子供養にもお仏壇は必要です。
叔父が亡くなって、40年ほど経ちます。生まれ変わりが、幸せであることを望みます。
読んでくれて、有難うございます。
感謝いたします。
最近、母から聞いたお話なのですが、
わたしの叔父の水子のお話です。
母の弟にあたる叔父は、30歳半ばで突然、くも膜下出血でこの世を去りました。わたしと同い年の娘を残して。
わたしにとっての叔父ですが、叔父には4人の水子さんがいたそうです。
流産ではなく、意志の上での堕胎だったそうです。
母が、4人目の子をお腹に宿し、叔父に報告したところ、叔父はこう言ったそうです。
「なに、姉ちゃん。4人目なんて、経済的にこれから大変だろう。
おろしちまえよ。」
このとき、母は耳を疑ったと言っています。
代々、わたしの母の実家は神道であり、とても信仰深い家なので、祖父も祖母も、沢山人を助けた家でした。
先祖供養を欠かさず、朝は神棚に向かい、家族や親せき一同の平和を心から祈る祖父の息子が、どうしてこういうことを言うのかと思いますが、
大事なこととして、そういう魂の話、先祖供養のこと、輪廻転生、水子の痛みなど、全く持ってわからない人がいます。
それは、良い悪いではなく、ただ知らないだけなのです。罪の意識もありません。
でも、無知の罪というものは、そこから現象的に叔父を苦しめます。
母の両親と母は、叔父の死後、水子それぞれに名前をつけ、ずっと供養し続けてきました。
とても信仰の深い家に生まれた魂は、きっと「望みの大きい魂」だったに違いないと思います。
この家に生まれれば、こういうことが出来る。応援してもらえる。と、確信して、
わたしたちと同じように、大きな青写真を携えて、「お腹に生まれる」のです。
それを、いち人間の、ちっぽけな頭の世界の、ちっぽけな器の経済論で、一瞬にして抹消された時の、
わたしのいとこになるはずだった「あの人たち」は、
たとえ父母ではない人たちに供養されようが、名前をつけてもらおうが、
何より、その父である叔父の、「心」が許せなかったのだと思います。
一人娘の従妹がいますが、幸せな家庭を築き、3人のお子さんもいます。
けれど、本人の体調は思わしくないのです。頭の病気は先祖が関わるとも言われていますが、
本人もまだ、供養ということの意識がないので、時がくるのを待って、母から言ってもらおうと思っています。
そして、叔父が、歳若く亡くなったのは、もしかしたら、これから続く後の代に、この罪をかぶせないように、
叔父が魂で判断したのか、そうさせられたのか、さだかではありませんが、
いずれにしても、自分の身辺にそういう体験があったので、書かせていただきました。参考にしてください。
大切なのは、当事者である父と母の、心からの思いが、供養であるということ、
そして、堕胎の責任は、それを判断した人間たち一人一人にあるということです。父親はその最たるものです。
男性は、女性と違い、堕胎の痛みも身体の変化も感じません。
けれど、その原因を作ったのは、男性のほうにあります。
周りに言われて泣く泣く堕胎する女性も多いのです。でも、水子は、母親が恋しいので、母親をすがって来ます。
水子は、先祖になるはずの人たちです。いわば、わたしたちの先祖です。
供養の仕方は異なりますが、先祖供養と同じ意義を持ちます。
先祖と我々の関係は、一人の人にちゃんと家系図が存在し、この世の人間関係となんら変わりはないのです。
だから、長男の家にお仏壇があるからうちはいらないというものではなく、
たとえ独り暮らしであっても、お仏壇を持ち、朝にお水を換えたりして、
ご先祖様との交流の場を持つことで、護られたり、アンテナを立てることになりますから、
開運になることは、事実です。水子供養にもお仏壇は必要です。
叔父が亡くなって、40年ほど経ちます。生まれ変わりが、幸せであることを望みます。
読んでくれて、有難うございます。
感謝いたします。