水子供養と アセンションに向けての意識改革ブログ

命の大切さとともに
ライトボディのことや
意識改革 霊的なことについて
かなりディープな内容になります

靖国神社と特攻隊の遺書

2019-04-30 18:03:25 | 堕胎

平成も終るということで、主人と二人、靖国神社へ御参りしてきました。





平成の世も護ってくれた英霊のみなさまに感謝するためです。

スピリチュアルの観点から言うと、特攻隊など、ご自分の身を犠牲にされた方々の
産まれ変わりは、別の星へ行く人もいると聞いたことがあります。

でも、日本を愛して戦った方々は、やはりまた祖国日本を霊界から注視しながらも
この国を良くしたいと産まれ変わって来られるようです。

日本の民の命を護るために戦ったのに、海外から堕胎天国などと揶揄された日本を眺めて、
どのような気持ちになられたろう・・と思います。

靖国は、他の神社とは全く違うご神気に満ちています。
手を合わせた時、深い慟哭、悲しみとともに、「わかってくれるか・・・」という思いが伝わりました。
戦後70年、まだ終わっていないものがあります。

その後、遊就館に行き、4時間かけて見学しました。
遺書は、涙なしには見られませんでした。



購入した「英霊の言の葉」から、遺書をひとつ抜粋させていただきます。
特攻が決まった時の遺書です。



お母さん!

海軍中尉 富田 修命
昭和19年9月3日
台湾高尾にて殉職
日本大学卒
長野県出身 二十三歳

お母さん!
九月二十五日
一時半、我一生ここに定まる。
お父さんへ、いふことなし。
お母さんへ、御教訓身にしみます。
お母さん、御安心下さい。決して僕は卑怯な死に方をしないです。お母さんの子ですもの。それだけで僕は幸福なのです。
日本万歳万歳、こう叫びつつ死んでいった幾多の先輩達のことを考えます。

お母さん、お母さん、お母さん、お母さん !

こう叫びたい気持ちで一杯です。何かいって下さい!一言で充分です。
いかに冷静になって考えても、いつもいつも浮かんでくるのは御両親様の顔です。
父ちゃん!母ちゃん!僕はこう何度もよびます。
僕と同じ気持ち、同じ境遇の戦友も相当にいることでしょう。現に僕の机の左に
一心にペンを動かしている栗山君も同じであります。一人息子であります。北海道の人です。
飛行機乗りは必ず死するものであります。
この道を選んできた僕を、一度は反対した父も、二度目は許してくれました。その時の気持ちと今の決定を見た時の気持ちは
全く同じであります。万感胸に迫って泣いていた友もおります。

「お母さん、決して泣かないで下さい」

修が日本の飛行軍人であったことについて大きな誇りをもって下さい。
勇ましい爆音をたてて先輩が飛んで行きます。ではまた。

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鹿児島の友人から聞いた話ですが、特攻隊の寮母をしている方のもとへ、
明日旅立つ子供が、夜来て、こう言うそうです。

「おばさん、今日だけは隣に寝てもいいかな」

お母さんのことを思うのでしょう。勇ましく飛ぶ気持ちとうらはらに、
母ちゃんと叫びたい、怖い悲しい気持ちもあったことでしょう。

「突っ込む時には、必ずお父さんお母さんと叫びます」と遺書の最後に書かれた方もいました。

いってきますという言葉は、「行って」「帰ります」という意味で使うものなので、
特攻隊が出発する時には、
「行きます。」
しか言えなかったそうです。



このような方々がお写真とともに、
沢山祀られている靖国に対して、一体なんの批判が出来るのかと不思議です。

そしてその多くの魂は、自分たちが戦い死ぬことで、何を護ろうとしたのか。
家族、日本国、そして、子孫であるわたしたちの命も含めていたと思えます。

だからこそ、命を粗末にしてはいけないし、その気高い魂がまた、日本国に生まれようとしているのに、
堕胎を繰り返してはいけないとも、思うのです。

モラルある日本を、残していきたいと、平成最後の日に、
強く思います・・・。    

 
    
 
  
    
  
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