「どうしたとね。病気でもしたと?ああ、婦人科を手術したね!腰もまがって・・・・」
「先生、ごらんのとおりです。この一年ばかり、家内が病気ばかりして仕事にならんのですよ。
おっしゃるとおり、家内は子宮ガンとかで手術してとってしまったんです」
「病気が出はじめたころになんで言わんとね。開店のときに言ったでしょうが、
水子さんを供養してからって・・・・。病気で水子さんがせっかく教えてくれたのに、気付くのが遅かったね」
「先生、すみません・・・・私がバカだけん」
それから彼女が涙ながらに話したことは次のようなことでした。
店をはじめてニ年間は、本当にこわいくらい儲かって儲かってしかたなかったそうです。
この分では、店をもう二、三店持てるんではないか、私にはこんなにお客がついていてくれるんだ、
自分の人生は、まだまだこれからだと、毎日張り切って仕事をした。
ライバルだった店も閉店。
「私はとうとう勝った」と毎日楽しくて仕方がなかったそうです。
生活は、すべてが店のために振り向けられ、事実儲かっているうちはそれでもよかったのです。
けれども、五十を超えた身には、毎日の夜遊びが身体によいわけがありません。
とうとう彼女は疲労が重なり、気持もイライラしてくる。(中略)
とうとう彼女は疲労で倒れてしまった。
「先生、三年目に入ってからの一年は先生が見られる通りです・・・私たち夫婦のやることなすことまったく裏目に出るのです。
先生、なんとか立ち直る方法はないでしょうか・・・・」
「なんとかなるかどうか・・・、まず各部屋を見せてください」
そういって彼女たちの各部屋を見て回りました。
案の定この夫婦の家には、お位牌も仏壇もなかったのです。
「奥さんもご主人もよく聞いてください。私は、店を開く前に、奥さんに水子供養をしてから、と言いましたね」
「そう言われると・・・」
「あなた方はご先祖様もご供養しないのですか、お父さんやお母さんは無かったのですか」
「お位牌はありますが・・・」
と、ご主人が立ってテレビ台の上の棚を開けて取り出してきました。
「お店が繁盛しているときには篠栗のお坊さんが良く供養にきて下さいましたが、
ごらんの通り貧乏になってからはお坊さんもきてくれません。
それに私どもも、いまでは何万円のお布施も出せないから、こられないほうが・・・・」
「ちょっと待ってください、奥さん。供養をして下さいと、前に私が言ったのはそんなことではないのですよ。
供養というのは、あなたがたの心が形に現れたものをいうので、坊さんにお経を読んでもらうのとはちがいますよ」
私は、このご夫婦にお釈迦様が何をされたか、何を私たちに教えられたか、供養とは何か、水子とは何か、年回忌の意味などをお話しました。
「奥さん、ご自分で、本当に心から水子にすまないとおもってするのが供養です。奥さんが子宮ガンになるまで働いたから儲けたのであって、
お坊さんの読経がお客をつれて来ましたか。
それと同じように、あなた方が、ご先祖様と、自分を殺せと命令したあなたの子供三人に、何をいままでしてあげましたか。
すべて人まかせではなかったのですか。
人まかせで儲けたものを自分の力でと思っているから、人に儲けを取られてしまうのです。
世の中のすべてのことは、お釈迦様の教えのとおり、なせばなり、なさねばならぬという仕組みになっているのです。
今からでも、ご先祖様に安らぎの正しいお墓を、そして三人の水子さんにはお地蔵さんを建ててあげなさい。
これから先は夫婦でどうするか、考えなさい。
人まかせではなく夫婦でできることから始めるのです」
「わかりました。二人で考えて供養します」
救いを呼ぶ水子霊
佐藤 玄明 著
「先生、ごらんのとおりです。この一年ばかり、家内が病気ばかりして仕事にならんのですよ。
おっしゃるとおり、家内は子宮ガンとかで手術してとってしまったんです」
「病気が出はじめたころになんで言わんとね。開店のときに言ったでしょうが、
水子さんを供養してからって・・・・。病気で水子さんがせっかく教えてくれたのに、気付くのが遅かったね」
「先生、すみません・・・・私がバカだけん」
それから彼女が涙ながらに話したことは次のようなことでした。
店をはじめてニ年間は、本当にこわいくらい儲かって儲かってしかたなかったそうです。
この分では、店をもう二、三店持てるんではないか、私にはこんなにお客がついていてくれるんだ、
自分の人生は、まだまだこれからだと、毎日張り切って仕事をした。
ライバルだった店も閉店。
「私はとうとう勝った」と毎日楽しくて仕方がなかったそうです。
生活は、すべてが店のために振り向けられ、事実儲かっているうちはそれでもよかったのです。
けれども、五十を超えた身には、毎日の夜遊びが身体によいわけがありません。
とうとう彼女は疲労が重なり、気持もイライラしてくる。(中略)
とうとう彼女は疲労で倒れてしまった。
「先生、三年目に入ってからの一年は先生が見られる通りです・・・私たち夫婦のやることなすことまったく裏目に出るのです。
先生、なんとか立ち直る方法はないでしょうか・・・・」
「なんとかなるかどうか・・・、まず各部屋を見せてください」
そういって彼女たちの各部屋を見て回りました。
案の定この夫婦の家には、お位牌も仏壇もなかったのです。
「奥さんもご主人もよく聞いてください。私は、店を開く前に、奥さんに水子供養をしてから、と言いましたね」
「そう言われると・・・」
「あなた方はご先祖様もご供養しないのですか、お父さんやお母さんは無かったのですか」
「お位牌はありますが・・・」
と、ご主人が立ってテレビ台の上の棚を開けて取り出してきました。
「お店が繁盛しているときには篠栗のお坊さんが良く供養にきて下さいましたが、
ごらんの通り貧乏になってからはお坊さんもきてくれません。
それに私どもも、いまでは何万円のお布施も出せないから、こられないほうが・・・・」
「ちょっと待ってください、奥さん。供養をして下さいと、前に私が言ったのはそんなことではないのですよ。
供養というのは、あなたがたの心が形に現れたものをいうので、坊さんにお経を読んでもらうのとはちがいますよ」
私は、このご夫婦にお釈迦様が何をされたか、何を私たちに教えられたか、供養とは何か、水子とは何か、年回忌の意味などをお話しました。
「奥さん、ご自分で、本当に心から水子にすまないとおもってするのが供養です。奥さんが子宮ガンになるまで働いたから儲けたのであって、
お坊さんの読経がお客をつれて来ましたか。
それと同じように、あなた方が、ご先祖様と、自分を殺せと命令したあなたの子供三人に、何をいままでしてあげましたか。
すべて人まかせではなかったのですか。
人まかせで儲けたものを自分の力でと思っているから、人に儲けを取られてしまうのです。
世の中のすべてのことは、お釈迦様の教えのとおり、なせばなり、なさねばならぬという仕組みになっているのです。
今からでも、ご先祖様に安らぎの正しいお墓を、そして三人の水子さんにはお地蔵さんを建ててあげなさい。
これから先は夫婦でどうするか、考えなさい。
人まかせではなく夫婦でできることから始めるのです」
「わかりました。二人で考えて供養します」
救いを呼ぶ水子霊
佐藤 玄明 著