福島県南相馬市小高区を慰問の心を持って訪問した。
国道6号線で小高区に入ると、直ぐに海に向かった。
11年前の大津波で被害が大きかった地区である。
デザインは素敵だが高さ5m程の堤防が造られて、陸側
からは海が見えなくなっていた。
海側には砂浜が無くなり、味気ないテトラポットが・・・。
陸側には砂防林の為なのか杉が植えられているが、まだ
50cm~60cmの幼さだ。いま生きている人の為ではなく、
100年後の為なのだろうが、ならば堤防は必要か。
自然を理解したら、堤防に頼らぬ生き方を選択するのが
賢いように私には思えてならない。(写真は堤防の上から)
新しい駅舎になっているが、私が幼かった頃と規模は同じ。
丁度列車が来て、町に二校あるどちらかの女子高生たちが
楽しそうに笑いながら乗り込んでいた。
もう少し列車が遅く来てくれれば、故郷の訛りが聞けたかも
しれないのが残念だった。
駅前は閑散として、昔の賑わいは全く無くなっていた。
その駅前に、芥川賞作家・柳美里君が本屋を営んでいる。
あの震災後に吾が故郷に移住してくれて作家と本屋とを
営んでいるのだ。中には入らず撮影だけさせてもらった。
二階の窓が全開だから、きっといらっしゃるのだろう。
駅前が暗いので、列車通学する生徒の為に店内は時間を
潰せる憩いの場になっているのが嬉しい。
父が生きていた頃だから、今から62年前も昔のこと。
2・3歳の私と中華そばを食べに行っていた「双葉食堂」が
場所を変えて営業しているのをSNSで知っていた。
だから故郷に来て、必ず行きたかった食堂である。
店が復活してから大繁盛しているの知っていたので、昼前
に到着したのだが、既に満員の盛況だった。
並ぶのがイヤな私だが、ここは我慢をして順番を記す為に
名前を記入して玄関外の椅子に腰かけた。
すると、私は一人なので、四人の団体さんをゴボウ抜きして
先に店内に案内された。
「特別に茶の間で食べて下さい」とのこと(笑)。
見るからに美味しそうでしょ!
でも、味は普通でした。大盛ですが、値段は忘れました。
私たちが住んでいた木造長屋が駐車場になっていたのは
当然の感があって感傷も湧かなかったが、同級生・小川君
の家が売りに出ていたのはショックだった。
家業を継いで医師になったのであろうに、震災後は勤務医
として生きているのだろう。
ずっとこの町に住んでいる71歳の男性に20分ぐらい話を
伺ったが、どうやら私が記憶している同級生は、一人として
住んでいないようである。
(やっと旅の目的が全て終了した)と思った瞬間だった。
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ガド
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