最上公園に吾が歌の師「西田忠次郎」の歌碑が建立されている
のだが、まだ見ていなかったので、(死ぬ前に見ておかねば)と
ずっと思っていたのである。
吾が短歌結社の古老たちが新庄市教育委員会に歌碑建立の
話をしたら、「新庄」が入ってることが条件になったのだそうな。
教育委員会ってところは「莫迦の集まり」なのだろうか。
文学とか文芸を理解しているとは到底思えない発言だもの。
ふるだけの雪を降らせて軽がるし新庄盆地の空のうす雲
歌碑建立の話が出た時、私は反対だった。
師の娘二人は歌を詠まないし、結社だっていつ解散するかも
しれないのだから、(50年後を想像しろ)と私は考えるのだ。
新庄市民から(何、これ?)と思われるのがイヤでしょうに。
それでも声が大きい人たちの意見で歌碑建立は決まった。
私は反対意見を言わなかったが、(産むと決まったからには
キチンとした歌碑でなければ)と思い、10万円を寄付した。
そしたら「誰が幾ら寄付したか」が発表され、「身の程知らず」
と言ってきた人が居て驚いた。
想像した通り、結社は呆気なく解散した。
私が60歳の時に(戻ろう)と思って調べたのだが、既に解散
していたのだった。
歌碑の台座は苔生(む)していた。
背後に巨木が二本聳えていて、昼からの日差しを遮るだろう
と想像できて、次のような歌の原型が湧いてきた。
「認める」には、「よく気を付けて見る・見て判断する・見て良し
とする」の意味もある。
師の歌碑を大楠の影が覆ふのを認めて昼の公園を去る ぶん
歌碑を目に焼き付けて納得をし、山形に戻ると「沼の辺公園」
に行った。
吾が歌の師の師である「結城健三」の歌碑を見る為である。
既に一度見たことがある歌碑だが、お二人の歌碑を同じ日に
見たかったのだ。
山ざくら咲く季にして小鳥ろのこゑちりぢりに狭いづるべし
「小鳥ろ」の「ろ」は接尾語で、決して「小鳥ら」ではない。
体言(名詞)の後ろに付けて調子を整え、また、親愛の情を
込めている、と理解すべし。
「いづるべし」の「べし」は強い推量の「べし」だろう。
だから一首は「山桜が咲く季節になって愛らしい小鳥の声は
ちりぢりとこの狭(かい)を出ることだろう」である。
健三先生は、私が短歌に目覚めた頃には既にお亡くなりに
なっていらしたのだが、本当にお会いしたかった人である。
でも、あと20年もすれば、全て遠い昔の話になってしまうの
だろう。
ところで、何故、簡単に吾が結社は解散してしまったのか。
それが不思議でならず、二日間は山形県立図書館に行って、
私が退会してから終刊までの結社誌を全て目を通してきた。
(図書館の女性司書二人には本当に親切にして頂いた)
予想通り、私が退会することになったきっかけの一つである
某選者の存在が大きく関わっていたようである。
つまり、その盆暗選者の発言が原因で退会者が出るのだ。
もちろん、会員の高齢化と入会希望者の激減も影響している
のだが・・・。
さて、本日の文章を書くことができて、とてもすっきりした気分
になれた。
極めて私的なことだけに、読んで頂いて恐縮です。
一応、今回の北海道・東北の旅に関しては、これで終了です。
明日も個人的なことを書くことになりそうですが、よろしく。
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