最上公園に吾が歌の師「西田忠次郎」の歌碑が建立されている
のだが、まだ見ていなかったので、(死ぬ前に見ておかねば)と
ずっと思っていたのである。
吾が短歌結社の古老たちが新庄市教育委員会に歌碑建立の
話をしたら、「新庄」が入ってることが条件になったのだそうな。
教育委員会ってところは「莫迦の集まり」なのだろうか。
文学とか文芸を理解しているとは到底思えない発言だもの。
ふるだけの雪を降らせて軽がるし新庄盆地の空のうす雲
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/46/c343fdff7278e04878faaffabeef41ad.jpg)
歌碑建立の話が出た時、私は反対だった。
師の娘二人は歌を詠まないし、結社だっていつ解散するかも
しれないのだから、(50年後を想像しろ)と私は考えるのだ。
新庄市民から(何、これ?)と思われるのがイヤでしょうに。
それでも声が大きい人たちの意見で歌碑建立は決まった。
私は反対意見を言わなかったが、(産むと決まったからには
キチンとした歌碑でなければ)と思い、10万円を寄付した。
そしたら「誰が幾ら寄付したか」が発表され、「身の程知らず」
と言ってきた人が居て驚いた。
想像した通り、結社は呆気なく解散した。
私が60歳の時に(戻ろう)と思って調べたのだが、既に解散
していたのだった。
歌碑の台座は苔生(む)していた。
背後に巨木が二本聳えていて、昼からの日差しを遮るだろう
と想像できて、次のような歌の原型が湧いてきた。
「認める」には、「よく気を付けて見る・見て判断する・見て良し
とする」の意味もある。
師の歌碑を大楠の影が覆ふのを認めて昼の公園を去る ぶん
歌碑を目に焼き付けて納得をし、山形に戻ると「沼の辺公園」
に行った。
吾が歌の師の師である「結城健三」の歌碑を見る為である。
既に一度見たことがある歌碑だが、お二人の歌碑を同じ日に
見たかったのだ。
山ざくら咲く季にして小鳥ろのこゑちりぢりに狭いづるべし
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/01/f4caf7d82c62d28157f8511f45e571be.jpg)
「小鳥ろ」の「ろ」は接尾語で、決して「小鳥ら」ではない。
体言(名詞)の後ろに付けて調子を整え、また、親愛の情を
込めている、と理解すべし。
「いづるべし」の「べし」は強い推量の「べし」だろう。
だから一首は「山桜が咲く季節になって愛らしい小鳥の声は
ちりぢりとこの狭(かい)を出ることだろう」である。
健三先生は、私が短歌に目覚めた頃には既にお亡くなりに
なっていらしたのだが、本当にお会いしたかった人である。
でも、あと20年もすれば、全て遠い昔の話になってしまうの
だろう。
ところで、何故、簡単に吾が結社は解散してしまったのか。
それが不思議でならず、二日間は山形県立図書館に行って、
私が退会してから終刊までの結社誌を全て目を通してきた。
(図書館の女性司書二人には本当に親切にして頂いた)
予想通り、私が退会することになったきっかけの一つである
某選者の存在が大きく関わっていたようである。
つまり、その盆暗選者の発言が原因で退会者が出るのだ。
もちろん、会員の高齢化と入会希望者の激減も影響している
のだが・・・。
さて、本日の文章を書くことができて、とてもすっきりした気分
になれた。
極めて私的なことだけに、読んで頂いて恐縮です。
一応、今回の北海道・東北の旅に関しては、これで終了です。
明日も個人的なことを書くことになりそうですが、よろしく。