おはよーございます。
札幌はかなり涼しく、もう季節は秋になっちゃうのかな?
なんか寂しい感じもします。
さて、人生は自分の心の映像
私たちは自分の前に現実があり、それが向こうの側から現れている
つまり受動的に捕らえがちです。
ところが実際には自分たちのところに映像が引き寄せられていると言った表現の方が本質なのです、
何故かならば心が変わったならば、現れる現実が変わるからです。
たとえばいつも、うるさく子供に怒鳴っているお母さん、
子供はいつも不機嫌でろくに返事もしません。
ところが、優しく、ほほえんで、「あれやってくれない」と言ったなら、
子供は、はいと素直に動いてくれるはずです。
ご主人でも同じこと
これって、映像というより鏡に近いかな
人は自分を、写し出す鏡とも言います、
実は他人は自分の心の作用に反応して、行動や言動を返してくるのです、
売り言葉に、買い言葉というのもあります。
あとね、特に精神疾患などで、ものごとを、否定的、悲観的にしか見えない人がいます。
その人は、この国この世界はろくなもんじゃないと言います、
合う人がほとんど良い人に見えません、また世の中が暗く写っているのです、
また逆も言えます
ものごとを、肯定的、前向きに捕らえる人は、世の中、この国が良く見える、そして出合う人は、良い人ばかりになるのです、
これは、あくまて、捕らえ方考え方、つまり心の在り方の違いなのです。
極端に思えかも知れませんが、
人間の視覚とか関係する脳の働きは結構アバウトとで、いい加減なのをご存知ですか?
だから、錯覚や、トリックアートが存在します。
人間は思い込みで良く錯覚、間違いを冒します、
視覚に関して心はかなり強く影響を与えているのです。
最後までお読み頂きありがとうございます。
m(_ _)m
札幌はかなり涼しく、もう季節は秋になっちゃうのかな?
なんか寂しい感じもします。
さて、人生は自分の心の映像
私たちは自分の前に現実があり、それが向こうの側から現れている
つまり受動的に捕らえがちです。
ところが実際には自分たちのところに映像が引き寄せられていると言った表現の方が本質なのです、
何故かならば心が変わったならば、現れる現実が変わるからです。
たとえばいつも、うるさく子供に怒鳴っているお母さん、
子供はいつも不機嫌でろくに返事もしません。
ところが、優しく、ほほえんで、「あれやってくれない」と言ったなら、
子供は、はいと素直に動いてくれるはずです。
ご主人でも同じこと
これって、映像というより鏡に近いかな
人は自分を、写し出す鏡とも言います、
実は他人は自分の心の作用に反応して、行動や言動を返してくるのです、
売り言葉に、買い言葉というのもあります。
あとね、特に精神疾患などで、ものごとを、否定的、悲観的にしか見えない人がいます。
その人は、この国この世界はろくなもんじゃないと言います、
合う人がほとんど良い人に見えません、また世の中が暗く写っているのです、
また逆も言えます
ものごとを、肯定的、前向きに捕らえる人は、世の中、この国が良く見える、そして出合う人は、良い人ばかりになるのです、
これは、あくまて、捕らえ方考え方、つまり心の在り方の違いなのです。
極端に思えかも知れませんが、
人間の視覚とか関係する脳の働きは結構アバウトとで、いい加減なのをご存知ですか?
だから、錯覚や、トリックアートが存在します。
人間は思い込みで良く錯覚、間違いを冒します、
視覚に関して心はかなり強く影響を与えているのです。
最後までお読み頂きありがとうございます。
m(_ _)m