これは内面を揺すぶられます。いつまでも余韻の残る静かな静かな感動です。
平山という初老の男。年齢設定は65歳くらいなのかな?浅草の古びたアパートで一人住まい。早朝から軽ワゴンに乗って公園のトイレ清掃に回ります。
掃除の場面がこれでもか?というくらい出て来ます。皆が嫌がる他人の使った公衆トイレ清掃。その地味で決して楽しいと言えない作業を平山は淡々としかし、丁寧に目に見えない裏側には小さな鏡を使って汚れを落とす。
一日中、区内の公園トイレを巡り、やる気のなさそうな若者フリーターへの対応も平常心で、しかし、指導すべきところではがつんと叱る。
作業工程全て終えると自分の時間。コインランドリーで洗濯をしたり、古本屋で目玉商品の文庫本を見つけ購入し、部屋の書棚にストックしたり、若い頃から好きだった洋楽のカセットテープを車の中や部屋のラジカセで聴いたり。
夕方には地下鉄構内の焼きそば屋でチューハイを飲み、週末にはスナックに通う。ただ朝から地味な仕事をしているだけでなく、ちゃんとおっさんらしき楽しみも謳歌。
物語が淡々と進んでゆく中、観客は何故彼がこのような生活を送るのか?疑問を感じる。しかし、時折モノクロの回想場面がまるで日差しに遮られたように現れては、内容がわからないうちに消える。たぶん何らかの過去のトラウマがあっての今なんだろうけど、その理由は明かされない。
ある日、アパートに姪が訪ねてくる。「にこか?大きくなったな」と眩しいほどに成長した姪に感無量。中学生くらいだからたぶん最低5年以上は会ってないのだろう。
その姪はアウトローの伯父平山をとても慕っていてそのまま数日泊まり込む。
平山の仕事に着いて行ったり、二人で自転車ツーリングをしたり。姪はこれまで知り得なかった簡素な生活に潤いを得て生き生きする。
そしてそのうち姪の母である妹が迎えに来る。お抱え運転手の高級車だから、もともとはかなり裕福な暮らしをしていた事が伺える。
「お父さんは施設に入って、昔より穏やかになった。だから一度会いに行ってあげて」
この短いセリフで父と息子の軋轢がいかに過酷だったか想像できる。
何があったかはわからないままだが、自分の過去と家族を捨てて、今のこの生活を選んだ平山の覚悟が滲み出る場面。
淡々とした日々が実は素晴らしい輝きと可能性に富んでいるのではと希望が湧く。この作品の良さは、観る人によって自分の人生と照らし合わせながら、その後の物語を編み込んでゆける事。
平山の1日はルーティンで始まり、ルーティンで終わる。やっぱルーティンって心を整え生きていくためのツールなんだね。
この映画に出会えた事を本当に嬉しく思います。役所広司さん、ありがとう。