こんにちは‥(^_-)-☆
散歩道で出会った花です・・(^_-)-☆
今朝は少し散歩に出ると地域の掃除の日でした・・(^_-)-☆
だから掃除をしているところを散歩できないので、コースを変えて散歩をしてきました・・(^_-)-☆
そして、時間も10時半に出たと思ったのに、9時半でした・・(^_-)-☆
だから、時間もあり、過ごし長めの散歩を・・(^_-)-☆
帰って家で万歩計を確認すると約12000歩近く歩いていました・・(^_-)-☆
当然地域の掃除があって、散乱ごみの集積がそのごみも含めて回収されます・・(^_-)-☆
私も庭の掃除をして、9袋の草ごみがあったので、ついでに出してきました・・(^_-)-☆
そんな時に青山会の青山会だよりを持ってきてくれました・・(^_-)-☆
山の辺の道を歩こうという手記が載っていました・・(^_-)-☆
その内容は‥
檜原神社の鳥のすぐ前に茶店があり、手作りの土産物屋草餅などを売っています。
ただ、この店はいつもしているとは限りませんね?
私が行ったときは休みでしたが?
この前を西へ200m、時間にして10分ほど下ると大きな池に出ます。
ここが、井寺池で、池は二つに分かれていて、井寺上池と井寺下池があります。
上池と下池の真ん中に道があり、ここから大和の景色はまた抜群です。
後ろ(東)に三輪山が美しい姿を見せています。
前、(西)には、二上山、大和三山が一望です。
この場所に古事記に登場する倭建命の川端康成筆跡の句碑があります。
大和は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 大和うるはし 倭建命
倭建命が東国遠征からの帰途、野煩野まで来たときに故郷大和の国を偲んで詠んだといわれています。
歌碑の執筆者川端康成について、桜井市公式ホームページに次のように綴られています。
{~川端先生は万葉だけでなく記紀の歌も入れたらとの発案で、ご自分は古事記の日本武尊の歌、大和は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 大和うるはし・・を核と言われました。そして、建碑場所の下検分に昭和47年1月21日昼過ぎにお出でになった。ところが、その4月に亡くなられ、約束の文字は書いていないというので、秀子夫人の許可を得て、ノーベル賞授賞式での記念公演原稿の「美しき日本の私」から、日本武尊の歌の文字を集めて建碑した(井寺池から大和三山を望む地に建立)}。
私も檜原神社に行って、同じ道を通って、その場所に行ったことがありますが?
二上山は、春分、秋分に二つの山の間を太陽が通るというので見てきましたが?
大和三山が見えるのは知りせんでした・・(^_-)-☆
今度山の辺の道を歩けば見てこようと思います・・(^_-)-☆
昼過ぎに見えると思って散歩から早めに帰ってきたのに、まだ住職がまだ見えません?
今日も来るのがまた遅れるのかなあ?
今日も良い日でありますように・・(^_-)-☆
写真がうまく入りません?・・
ごめんなさい