奈良県での出来事日記

青息吐息の老人が、奈良行事も交えながら、日記を投稿しますね・・(^◇^)

奈良・手貝町ってどんな町?・・(^_-)-☆

2022-04-11 10:00:49 | 日記

おはようございます・・(^_-)-☆

今朝の奈良は、少し曇っていますが、昨日よりは朝の気温が高いのかなあ?・・

二階の寝室は、22℃で、一階に降りると、18℃ほどあります?・・

今朝も目覚めるとマリア猫がいなかったんですが?・・

布団を出る頃にマリアが、寝室横まで来たので、ナデナデすると手を噛まれました?・・

今日は目覚めても気持ちが落ち着きません?・・

目の硝子体の注射の日なんです?・・

今朝は、新聞も休みなので、今日は趣向を変えて、奈良の町名由来を書かさせていただきますね?・・

私が東大寺行くときに降りる町名が付いたバス停もあります。

国道369号線、国道754号線沿いの「手貝町」です。

今小路町の北側の町です。

転害門より北雑司町にいたるまでの地域です。

町名の由来は、町内に位置する奈良時代からの貴重な国宝建造物「東大寺転害門」の名に基づくことは確かです。

転害門という少し変わった呼び方も様々な表記があり、手貝、転害、手掻等の様々な呼び名があるようです。

手貝町は古くは、手掻町と称していました。

転害門の由来については諸説あり、田向山八幡宮が宇佐から東大寺に勧請された時、この門で殺生を禁ぜられたので、轉害門と号したとの説。

婆羅門僧正僧正が東大寺に入る時、行基菩薩が招く様子が手で掻くようであったので、手掻門との説。

田向山八幡宮祭の乱声(鉦・太鼓を打ち鳴らして時の声をあげること)が行われたので、転害門と言われたとする説。

東大寺の転害門は、1180年の平重衡の南都焼き討ちによる被害を免れ、1567の松永久秀の兵火にも焼け残った貴重な建物で、天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構で、国宝に指定されています。

なお参考文献は、山田熊夫著の奈良風土記より。

だけど私にとっては、東大寺への入り口のバス停です。

私は余り、東大寺南大門から行かずに、この転害門の横を通って、大仏池から入って行きますね。

今日はアベマ開局記念日なんですね?・・(^_-)-☆

ネット番組はよく見る?

私は、ネット番組があることは知っていますが?・・

見たことはありませんね?・・

私のパソコンはほとんどが、ブログだけの書き込みだけだから?・・

仕事もしていない老人だから?・・

それと何か分からないときに検索ぐらいかなあ?・・

今朝の血圧は、142-76、脈拍は、69、血糖値は110でした。

体温は36.3℃でした。

昨日の散歩数は、20073歩でした?・・

昨日はイオンなどで外に出て朝の散歩ができず、少し減りましたが?・・願い

だけど、血糖値にはあまり関係がないのかなあ?・・

夕方だけはできる限り15000歩は歩こうと思いました?・・

今日は目も見ずらいので、ゆっくり養生しますね?・・

気分は不安で悪いが、健康です?・・

阪神はもう、応援できる状態ではありませんが、ロッテマリーンズの佐々木朗希が凄い内容を達成しましたね。

「佐々木の群を抜いたパフォーマンスは1試合の最多奪三振数で19個のNPB記録に並び、連続奪三振については13個の新記録を作った」ったんですね。

そんな選手を阪神に欲しいですね?・・

今日も良い日でありますように・・(^_-)-☆

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コメント
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