こんにちは‥(^_-)-☆
今の奈良市は15℃と昨日より1℃ほど暖かい日になりましたね。
奈良は、最高気温が16℃とすこし寒い日になりそうですね?・・
引き続く寒さの性か下痢がまだ続き体調不良が続いています。
少ししんどいが散歩に励みますね。
医師からしんどくても歩くか体操をせよといわれました。
しんどいが、少しづつ散歩を増やそうと思いますが増えませんね?・・
奈良まほろばソムリエ奈良通2級の17回目の問題です。
6 奈良県に関連する文学について最も適当なものを選びなさい。
(61) 奈良に言及した書物のうち、本居宣長が著したのはどれか。
ア.『野ざらし紀行』 イ.『菅笠日記』 ウ.『更級日記』 エ.『鹿鳴集』
(62) 井上靖が『天平の甍』で題材にした、唐から来朝した高僧は誰か。
ア.鑑真 イ.玄奘 ウ.義浄 エ.逸然
(63) 明治22年(1889)の大水害による十津川村民の北海道移住を描いた『新十津川物語』の著者は誰か。
ア.堀辰雄 イ.川村たかし ウ.志賀直哉 エ.五木寛之
(61)本居 宣長(もとおり のりなが、) は、江戸時代の国学者(文献学・言語学)、医師。
本居宣長が著した 奈良に言及した書物は笠がある日記です。
ヒントは前の文章で分かりますよね。
(62)中国の揚州生まれ。14歳で智満について得度し、大雲寺に住む。
弘景について登壇受具し、律宗・天台宗を学ぶ。
律宗とは、仏教徒、とりわけ僧尼が遵守すべき戒律を伝え研究する宗派であるが、鑑真は四分律に基づく南山律宗の継承者であり、4万人以上の人々に受戒を行ったとされている。
栄叡と普照は、授戒できる僧10人を招請するため唐に渡り、戒律の僧として高名だった○○のもとを訪れた。
○○は、渡日したい者はいないかと弟子に問いかけたが、危険を冒してまで渡日を希望する者はいなかった。
そこで○○自ら渡日することを決意し6回目に、渡航した。
ヒントは、唐招提寺の住職でもある僧です。
(63)十津川の由来です。
ここでは1889年(明治22年)に台風で大水害が起こり、死者は168人、全壊または流された家屋は426戸と壊滅的な被害を受け、約3千人が行き場を失いました。
村民からはハワイなど海外に出る案もありましたが、国から補助をもらって生活を立て直そうと北海道に移住し、翌年から開拓を始めました。
その場所が今の新十津川町です。
新十津川物語は、大水害で両親を失った少女、津田フキが新天地で希望を何度も打ち砕かれながらも懸命に立ち上がる様子を生き生きと描いています。
児童文学作家、○○○○さんの小説「新十津川物語」です。
ヒントは、有名な小説家ではありませんね。
今日も良い日でありますように・・(^_-)-☆
(61) イ (62) ア (63) イ
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