hana story

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テレビを見るのに忙しい日々

2017-03-27 10:59:29 | 日記
こうへいさん・高校野球・相撲・渡瀬恒彦さん。毎日時間を組んで見ています。

昨日、大相撲が千秋楽、稀勢の里関の怪我の状態が心配でしたが「優勝決定戦」に持ち込んで
堂々の横綱。涙の出る取り組みでありました。
22年前の貴乃花以来の新横綱以来と聞きますが本当に立派でありました。振り返って私が
「貴乃花」ときゃあきゃあ言っていたのは22年前かと年月の過ぎ行きの速さに驚くばかり。
感動をありがとう!

それにしても「渡瀬恒彦」さんの追悼番組の多さに驚いています。昨夜はアガサクリスティーの
「それで誰もいなくなった」というドラマ渡瀬さん最後の作品死の1か月前まで撮影があったそうで
最後のシーンはご自分のその時を語られたようで不思議な気持ちになりました。
もう終わりかと思いましたが今日も「十津川警部シリーズ」が放映されるようです。
各局次々と重ならないようにしています。

こんなにも愛された俳優さんだったのかと感動です。ご冥福をお祈りいたします。

高校野球には欠かせない「松井秀喜」さんのこと5回連続敬遠は有名な話ですですが、
今日は凄いホームランの話をしていました。
高校の頃から将来の大成を予感するものであったようです。

25日には久々のこうへいさんのテレビ出演があってそれも夕飯をづらせて見ました。
何を歌わせても上手い。
明治座公演も好評に終わって全国コンサートツアーが始まりました。
もうすぐ神戸へ。お目に掛かるのを楽しみに待っています。

 

俳優 渡瀬恒彦さんを悼む

2017-03-19 10:57:12 | 日記
突然に亡くなられたことが報道されて大変驚くとともに残念でなりません。

わが市の進学校「三田学園 中学 高校」と淡路島からこられてお兄さんの
渡 哲也さんと寮生活を送られたと聞きます。

市内に住む同級生の人によりますとこの頃から運動会になると女の子たちの
グループが沢山渡瀬さん目当てに来ていたと言われていました。(新聞による)

私は60歳で編み物教室を辞めて暇になったので午後はサスペンスドラマを見るようになって
初めて渡瀬さんのドラマが面白いと思いました。それは彼の名演技によるものでした。

新聞の番組を朝にチェックしてお昼から見ていました。
「十津川警部」「タクシードライバーの推理日誌」等々 かっこいいのとセリフが上手い。
随分と楽しませて頂きました。

有難うございました。私たちの心に残された素晴らしい演技。忘れることはありません。
どうぞゆっくりとお休み下さい。
一ファンとしてご冥福をお祈り致します。

今夜9時から追悼番組「タクシードライバーの推理日誌」が放送されます。

梅の赤、白、咲き始める

2017-03-16 10:13:41 | 日記
やっと開き始めた庭にあるだけの梅の花々。しかし温度は上がらず
相変わらずの寒さであります。ちょっと動けていたのにまたやり直しの感じです。

こんな病気になっても涙一つ出なかったのに何日か前ふとしたことが出来なくて
初めて悔しくて涙が出ました。
心身ともに立ち直れるかどうか分かりませんがしっかりしなければと気持ちだけが
焦っています。

   

何年か前、常磐線に乗って「水戸のる偕楽園」へ行ったことがあります。丁度、「梅まつり」の
時で賑わっていました。上野駅の直ぐ傍の小さなホテルでしたがゆっくり出来たことを今も懐かしく
思い出します。あの凄い年輪を重ねた古木を。
歌にある「ああ上野駅」は歌そのものでした。その夜の「歌謡コンサート」で偶然にもこの歌を
聴きました。今はこうへいさんが時々歌われています。

これがトマト?

2017-03-09 10:45:59 | 日記
阪急キッチンエールのカタログに載っていて買ってみました。



”しあわせの涙”あと赤いので”乙女の涙”というのがあります。

時は移り今は色んなものが研究されて目を見張るばかりです。赤い方は甘く美味しかったのですが
黄色い方は今一つでした。

火曜日の夜の「うたこん」こうへいさん始めの方と終わり2曲のうちに歌われてファンとしては
満足でありました。しかし、大勢がでてまとまりがなく全体としては見ずらかった。

新曲「母ちゃんの浜歌」は今までにないもので大変心揺さぶられるものです。
何を歌われても歌いこなされるので凄いと思います。
9月の「新歌舞伎座」が楽しみです。

しかし、何といっても民謡がやはりすばらしい!!

今までは何だったのか

2017-03-03 10:43:35 | 日記
昨夜テレビで就活家族を見ました。ある家族の職を親子4人とも失って就活すると言う
物語です。
母親が学校の先生だったのですが自分の信念を曲げなかったために辞めざるを得なくなるというもの。
そして、離婚の危機に「今までは何だったのだろう」といっていました。
ふと、私も頑張りに頑張って仕事をして来て旅も十分にした。しかし、この病気になって
その言葉に考えさせられてしまい空しい気持ちになってしまいました。

病気に負けない気持ちは持ち続けていた筈が・・・・・・・体が不自由になったのは初めてなので。
考えて見ればもう80に近い年齢になっていたのだった。

何時までも心だけは若く自覚していなかったのだと感じています。

命あることに感謝しつつ残りの日々を大切に過ごしたいと考え直しています。