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ポメラニアンのゴロ[兵庫犬(神戸市)~石川犬(金沢市)~埼玉犬(さいたま市)~道犬(札幌市)]&ツバサ日記

華林山 慈恩寺

2009年09月26日 | 閑話休題
 三蔵法師の遺骨が安置(分骨)されているという話を聞き「華林山慈恩寺」を訪ねてみる。

 埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺

 慈恩寺は、天長元年(824)に慈覚大師によって開かれた天台宗の古刹であり、山号(寺院の名前の上に付ける称号)とあわせて華林山最上院ともいう。



 坂東三十三ヶ所観音霊場の十二番札所でもあり、境内には参拝客、観光客が訪れる。





 境内の十三重霊骨塔には、中国の古典『西遊記』に登場する三蔵法師の遺骨が分骨、安置されている。

□経緯

 第二次世界大戦中に南京を占領していた日本軍が、稲荷神社を建立するため丘を整地していた際に石棺を発見する。

 石棺には三蔵法師の頂骨が長安から南京にもたらされたと記されてあり、日中両国の専門家が調査した結果、玄奘三蔵法師の頂骨そのものであることが確認される。

 発見の翌年、「法師は仏教の一大恩人であり、日中の仏教徒が永遠に法師の遺徳を大切にしよう」という趣旨で分骨され、日本仏教徒代表の倉持秀峰氏に手渡され、霊骨は日本にもたらされることになる。

 来日した霊骨は当初、仏教連合会の置かれていた東京、芝の増上寺に安置されるが、第二次世界大戦末期、東京空襲により霊骨が灰になることを恐れた日本仏教連合会は疎開先を検討する。

 日本仏教会の事業部長が住職を務め、平安時代に慈覚大師の開基であり、三蔵法師ゆかりの長安の大慈恩寺から名付られた由来を持つ慈恩寺に仮奉安することになる。

 終戦後、仏教連合会は、霊骨の正式な奉安の地(慈恩寺は疎開先)を決める予定であったが、慈恩寺は法師と何等かの因縁があり顕彰の場としてふさわしいという蒋介石主席の意向もあり、正式に慈恩寺の地に霊骨塔建設が決定する。


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