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ポメラニアンのゴロ[兵庫犬(神戸市)~石川犬(金沢市)~埼玉犬(さいたま市)~道犬(札幌市)]&ツバサ日記

卯辰山情景

2007年06月25日 | ポメラニアン
「新金沢小景」五木寛之

第1景 石段から見えるもの(卯辰三社)
 日本海に突き出した半島が、ゆるやかにもとの海岸線に納まり始める位置に金沢がある。その市街の北東、浅野川の右岸に「向かい山」とも呼ばれる卯辰山がなだらかに隆起している。
 山の中腹にある花菖蒲園の奥には、忘れ去られたかのようにひっそりと、古い石段が顔をのぞかせている。静けさの漂う石段につられ、深い緑の中を一段、一段と歩を進めていくと、登りつめたところには鳥居があり、その奥に三つの神社が忽然と姿を現す。
 寄り添うように建つのは、卯辰天満宮、豊国神社、愛宕神社の「卯辰三社」。慶応3年(1867)、加賀藩最後の14代藩主・前田慶寧は、この三社を起点とした卯辰山の大開拓に着手した。それは病院、医学校、薬草園、芝居小屋、寄席、物産店、大浴場、茶屋、料理屋などが並ぶ、町民のための福祉、娯楽施設の建設であった。開拓は、廃藩置県で挫折したものの、町民の労働奉仕を得て整えられた巨大アミューズメント施設の賑わいは、明治の半ばまで続いたという。かつての多くの人が心躍らせて上ったこの石段も、今は深い緑に囲まれ、人もまばら。現在の様子からすれば、往時は夢のようである。


第2景 臥龍返照(卯辰山)
「臥龍返照」。あたかも臥せた龍のように重なり合った愛宕山や観音山などの稜線、そのなだらかな起伏が夕日に赤く染まっている様子を、俳画家・小松砂丘はこう題して描いている。
 卯辰山はこの峰々の総称で、親しみを込めて向かい山、夢香山、臥龍山などと呼ばれてきた。市民の憩いの場であるとともに、文学碑や顕彰碑、功労碑などが数多く散在する。実は「日本一の碑林公園」なのである。


※補足
 今の卯辰山公園は、大正3年に再開発が開始され昭和3年に工事を終えた。月見台にある「卯辰山公園創設記念碑」は、その際に設置されたものである。
 また、卯辰山が現在の緑の山になっているもとは、明治35年~40年(1902~1907)にかけ金沢市が163,000本の木を植えたものによる。明治43年(1910)より、卯辰山の全山を公園にする計画が進められた。
 昭和33年(1958)に現在の見晴台周辺に演劇場、映画館、小遊園地、大浴場・宿泊施設の「金沢ヘルスセンター」が「金沢動物園」、「金沢水族館」とともに開園した。
 昭和58年(1983)に「金沢サニーランド」に改称したが、レジャーの多様化、交通機関の整備・発達が進む時代背景の中、その立地条件も手伝って経営不振に陥り、平成5年(1993)閉園された。
 「金沢動物園」は、県下唯一の動物園であり、市民等の強い要望もあり、石川県が施設全体を買収して平成6年(1994)に「県立いしかわ動物園」として再オープンしたが、施設の狭小・老朽化、合わせて地理的条件のため整備・拡張が容易でないことから、辰口への移転のため平成10年(1998)再び閉園した。

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