昨今 地球温暖化及び原子力発電事故等による自然再生エネルギーが注目されています。エネルギー問題は、全てその時代背景により推移していることを理解されているでしょう。
明治以降 日本が近代化へ向かって進む糧となったのが今は化石エネルギー、公害の元凶とされた「石炭」です。
本稿は「空知の炭鉱の歴史(History of Coal Mines in Sorachi)」と題しましたが、掲載内容は北海道のパンフレットからの引用です。
また、パンフレットに掲載される自治体は、次のとおりです。
・夕張市
・美唄市
・芦別市
・赤平市
・三笠市
・歌志内市
・上砂川町
空知の炭鉱の歴史は、明治初期に三笠の幌内地域で有望な炭層が発見されたことに始まります。
その後、明治12年に始まる官営幌内炭鉱の開鉱と本格採炭を経た後、赤平・歌志内地区、夕張・大夕張地区、少し遅れて砂川・美唄地区と開発が進みました。
我が国の戦後復興にも空知の炭鉱は大きく貢献し、最盛期(昭和30年代)には100を超える炭鉱が稼働していました。
しかし、エネルギー革命が進む中で閉山・合理化が相次ぎ、平成7年3月の空知炭礦(歌志内市)の閉山を最後に、空知から坑内掘炭坑は全てなくなりました。
このような中、現在では、空知の炭坑の歴史を伝える炭坑関連施設などが残されております。
①旧北炭幾春別炭鉱 錦坑炭鉱施設群(三笠市幾春別山手町93番地)
大正9年頃完成。立坑櫓の高さは約10m、内径4.85m、深さ197m。
②三笠鉄道記念館(三笠市幌内町2丁目287番地)
※以下、次回更新
③空知集治監典レンガ煙突(三笠市本郷町705番地23)
④旧住友奔別炭鉱立坑櫓(三笠市奔別町)
⑤炭鉱住宅(三笠市弥生柳町)
⑥三笠市立博物館(三笠市幾春別町1丁目212番地の1)
明治以降 日本が近代化へ向かって進む糧となったのが今は化石エネルギー、公害の元凶とされた「石炭」です。
本稿は「空知の炭鉱の歴史(History of Coal Mines in Sorachi)」と題しましたが、掲載内容は北海道のパンフレットからの引用です。
また、パンフレットに掲載される自治体は、次のとおりです。
・夕張市
・美唄市
・芦別市
・赤平市
・三笠市
・歌志内市
・上砂川町
空知の炭鉱の歴史は、明治初期に三笠の幌内地域で有望な炭層が発見されたことに始まります。
その後、明治12年に始まる官営幌内炭鉱の開鉱と本格採炭を経た後、赤平・歌志内地区、夕張・大夕張地区、少し遅れて砂川・美唄地区と開発が進みました。
我が国の戦後復興にも空知の炭鉱は大きく貢献し、最盛期(昭和30年代)には100を超える炭鉱が稼働していました。
しかし、エネルギー革命が進む中で閉山・合理化が相次ぎ、平成7年3月の空知炭礦(歌志内市)の閉山を最後に、空知から坑内掘炭坑は全てなくなりました。
このような中、現在では、空知の炭坑の歴史を伝える炭坑関連施設などが残されております。
①旧北炭幾春別炭鉱 錦坑炭鉱施設群(三笠市幾春別山手町93番地)
大正9年頃完成。立坑櫓の高さは約10m、内径4.85m、深さ197m。
②三笠鉄道記念館(三笠市幌内町2丁目287番地)
※以下、次回更新
③空知集治監典レンガ煙突(三笠市本郷町705番地23)
④旧住友奔別炭鉱立坑櫓(三笠市奔別町)
⑤炭鉱住宅(三笠市弥生柳町)
⑥三笠市立博物館(三笠市幾春別町1丁目212番地の1)
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