9月9日に国連の障害者権利委員会が日本政府に対して政策の改善点を勧告して以降、マスコミ等でも「障害」児教育をめぐって取り上げるようになってきました。
とりたてて状況が大きく変わったわけではありませんが、今回のように国連等の外部機関が問題にすると国内でもいやがおうにも議論が起こります。
今回、国連の障害者権利委員会が日本政府に勧告した内容は、「障害児を分離した特別支援教育の中止。精神科の強制入院を可能にしている法律の廃止」です。
勧告に拘束力はありませんが、政府は重く受け止め尊重する必要があります。
そして、障害者の権利を守るために必要な制度改革や仕組みづくりをしなければなりません。
地域で一緒に学び、暮らすための支援体制を強化すべく予算の確保も求められます。
因みに「障害者の権利に関する条約(障害者権利条約)」は2006年に国連総会で採択され、翌年に日本政府は署名しました。
その後、国内法を一定程度整備して2014年にようやく批准しました。
この条約の特徴は国際人権法に基づき、「障害は個人ではなく社会にある」といった人権を重視する視点から作られています。
また、「私たちのことを私たち抜きで決めないで」と言う言葉に象徴されるように障害者の視点から作られた条約であることも特徴的です。
今回、日本政府に勧告した障害者権利委員会とは、この条約に基づいて設置された国連の機関です。
この勧告を受けた後に政府は、10月5日、2023年から5年間の障害者政策の方針「障害者基本計画」の素案を内閣府有識者会議に示しました。
しかし、この中では、障害のある子どもが他の子どもと分かれて特別支援学校などで教育を受ける仕組みの中止、即ち分離教育の中止には触れていません。
それどころか、永岡文科相は早くも9月13日に「特別支援教育を中止することは考えていない」と述べました。
これには伏線があり、今年の4月に文科省が全国の教育委員会に「特別支援学級に在籍する児童生徒が通常の学級で学ぶ時間を週の半分以内にとどめる」よう求めた際も、国連はこれを危惧し文科省の通知撤回を要請していました。
この時も永岡文科相は「通知はインクルーシブ教育を推進するもので、(国連に)撤回を求められたのは遺憾」として、撤回しない方針を強調していたものです。
今回、このような勧告がされた背景には障害者権利条約の精神に則り、障害者自らも国連へ出向きロビー活動等を行なったことも影響しています。
それまでに日本政府は国連へ義務付けられている報告書をまとめて提出していますが、その内容をめぐって日本障害フォーラム(各種障害の13団体)などが日本政府と意見交換しながら、日本政府の報告書に関する意見書を障害者委員会へ提出していました。
さらに、ジュネーブでの会場で行われた「建設的対話(審査にありがちな批判的評価が目的ではなく、日本の障害者施策の課題について障害者権利委員会と政府が報告書や対面で“対話”を繰り返すことで、政府から状況改善に関する前向きな回答を引き出そうとするもの)」と言われる審査には、日本から障害者たちも含めて100人も参加して周囲を驚かせたと言います。
こうした経緯を見ても、今回の勧告は日本政府にとっても非常に重いものがあると言えます。
しかし、この審査を受けた後の「総括所見」と言われる勧告を日本政府は極めて任意にとらえており、日本は既にインクルーシブ教育を実施していると胸を張って主張しているのです。
それもそのはず、文科省のインクルーシブ教育の定義の一つに「共生社会の形成に向けて、障害者の権利に関する条約に基づくインクルーシブ教育システムの理念が重要であり、その構築のため、特別支援教育を着実に進めていく必要があると考える」とまで述べているのですから…。
即ち、勧告で求められている特別支援教育(分離教育)の中止をするのではなく、『着実に進めていく』方針が謳われているのです。
論点がずれているというより、障害者の権利即ち人権を第一に考えたものではなく、先験的に「良い」と決め込んだ教育を押し付けるものになっています。
これこそ、まやかしのインクルーシブ教育に他なりません。
1974年(昭和54年)の養護学校義務化以降の日本における「障害」児教育の変遷は、当事者より周囲の思惑が先行して、「より良い」とされる学習環境下に障害者を囲い込んでいくものでした。
差別ではない配慮だとか、障害に応じた適切な教育だとか理屈をつけて普通学級とは別の場所でより「専門的」な「考慮された」教育を推進してきたわけです。
(つづく)
<すばる>
とりたてて状況が大きく変わったわけではありませんが、今回のように国連等の外部機関が問題にすると国内でもいやがおうにも議論が起こります。
今回、国連の障害者権利委員会が日本政府に勧告した内容は、「障害児を分離した特別支援教育の中止。精神科の強制入院を可能にしている法律の廃止」です。
勧告に拘束力はありませんが、政府は重く受け止め尊重する必要があります。
そして、障害者の権利を守るために必要な制度改革や仕組みづくりをしなければなりません。
地域で一緒に学び、暮らすための支援体制を強化すべく予算の確保も求められます。
因みに「障害者の権利に関する条約(障害者権利条約)」は2006年に国連総会で採択され、翌年に日本政府は署名しました。
その後、国内法を一定程度整備して2014年にようやく批准しました。
この条約の特徴は国際人権法に基づき、「障害は個人ではなく社会にある」といった人権を重視する視点から作られています。
また、「私たちのことを私たち抜きで決めないで」と言う言葉に象徴されるように障害者の視点から作られた条約であることも特徴的です。
今回、日本政府に勧告した障害者権利委員会とは、この条約に基づいて設置された国連の機関です。
この勧告を受けた後に政府は、10月5日、2023年から5年間の障害者政策の方針「障害者基本計画」の素案を内閣府有識者会議に示しました。
しかし、この中では、障害のある子どもが他の子どもと分かれて特別支援学校などで教育を受ける仕組みの中止、即ち分離教育の中止には触れていません。
それどころか、永岡文科相は早くも9月13日に「特別支援教育を中止することは考えていない」と述べました。
これには伏線があり、今年の4月に文科省が全国の教育委員会に「特別支援学級に在籍する児童生徒が通常の学級で学ぶ時間を週の半分以内にとどめる」よう求めた際も、国連はこれを危惧し文科省の通知撤回を要請していました。
この時も永岡文科相は「通知はインクルーシブ教育を推進するもので、(国連に)撤回を求められたのは遺憾」として、撤回しない方針を強調していたものです。
今回、このような勧告がされた背景には障害者権利条約の精神に則り、障害者自らも国連へ出向きロビー活動等を行なったことも影響しています。
それまでに日本政府は国連へ義務付けられている報告書をまとめて提出していますが、その内容をめぐって日本障害フォーラム(各種障害の13団体)などが日本政府と意見交換しながら、日本政府の報告書に関する意見書を障害者委員会へ提出していました。
さらに、ジュネーブでの会場で行われた「建設的対話(審査にありがちな批判的評価が目的ではなく、日本の障害者施策の課題について障害者権利委員会と政府が報告書や対面で“対話”を繰り返すことで、政府から状況改善に関する前向きな回答を引き出そうとするもの)」と言われる審査には、日本から障害者たちも含めて100人も参加して周囲を驚かせたと言います。
こうした経緯を見ても、今回の勧告は日本政府にとっても非常に重いものがあると言えます。
しかし、この審査を受けた後の「総括所見」と言われる勧告を日本政府は極めて任意にとらえており、日本は既にインクルーシブ教育を実施していると胸を張って主張しているのです。
それもそのはず、文科省のインクルーシブ教育の定義の一つに「共生社会の形成に向けて、障害者の権利に関する条約に基づくインクルーシブ教育システムの理念が重要であり、その構築のため、特別支援教育を着実に進めていく必要があると考える」とまで述べているのですから…。
即ち、勧告で求められている特別支援教育(分離教育)の中止をするのではなく、『着実に進めていく』方針が謳われているのです。
論点がずれているというより、障害者の権利即ち人権を第一に考えたものではなく、先験的に「良い」と決め込んだ教育を押し付けるものになっています。
これこそ、まやかしのインクルーシブ教育に他なりません。
1974年(昭和54年)の養護学校義務化以降の日本における「障害」児教育の変遷は、当事者より周囲の思惑が先行して、「より良い」とされる学習環境下に障害者を囲い込んでいくものでした。
差別ではない配慮だとか、障害に応じた適切な教育だとか理屈をつけて普通学級とは別の場所でより「専門的」な「考慮された」教育を推進してきたわけです。
(つづく)
<すばる>