江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

「特別支援教育」に異議あり!(2)

2022-10-26 | 随想
今回の国連の日本政府に対する「障害児分離教育中止」勧告をめぐっては、それを真摯にとらえようとするのではなく、自らの正当性を訴える政府の姿が浮き彫りになりました。
そして、当事者や関係者の一部にもこの勧告を疑問視したり懐疑的に受け取ったりする動きが見られます。


その例をいくつか見てみましょう。

「20年近く特別支援教育に携わっている。特別支援学級では、一人一人の特技や課題を分析し、その子が集中でき、その結果技能が高まったり、気持ちが安定したりし、自信や自立につながる学習課題を準備し、支援を行っている。普通学級と一緒にできる行事などの時は、一緒に学習する。特に知的な障害の場合、普通学級と学習の場を一緒にすることは想定しにくいが、私の認識不足だろうか。多人数が苦手で少人数制の特別支援学級で学習したい生徒も中にはいる。本人のためになるのはどちらか。」(特別支援学級教員)

「私の孫は学習障害があり、小中学校は特別支援学級に通い、特別支援学校高等部に進みました。生徒の個性に合わせたご指導のおかげで基本的な読み書きができるようになり、今は障害者枠で働いています。もし無理に通常クラスに入れていたら、本人にとっても周りの生徒や先生にとっても望ましい結果にならなかったでしょう。<中略>共に学ぶ『インクルーシブ教育』というものが、分離教育の廃止ではなく、障害に合わせた支援教育の継続に向かうことを望みます。」(当事者の祖母)

これらは新聞の投書欄から抜き書きしたものですが、「分離教育中止」に異論を唱える人たちの考えの根底にはこのような発想があるものと思います。


さらにこうした考え方(国連勧告をストレートに受け入れられない)を理論的に展開している日本における団体もあります。

「発達保障」という文言をスローガン的に掲げている「全国障害者問題研究会(全障研)」は、今回の勧告に懐疑的な態度をとっているように思います。
以下にその主張の一部を抜粋で紹介します。

「人間の発達のすべての時期において、通常の教育環境とは相対的に区別された一切の特別な教育の場、特別な教育課程等の存在を否定するものであるのか、それは果たして、条約第24条第1項の示すインクルーシブ教育の三つの目的の実現に資するものであるのかどうかということについての、建設的で実りある対話が求められよう。この国には、障害のある子ども、青年の人間としてのゆたかな発達の実現を期してとりくまれてきた、特別支援学校、特別支援学級等における教育実践の豊富な蓄積があり、その発展を期す真摯な努力がある。それは歴史的にみれば、通常の教育環境とは相対的に区別された教育の場および教育課程等の存在を前提として成立し、発展してきたものである。」(10/17全障研委員長の談話)

この談話の中でも「通常の教育環境とは相対的に区別された教育の場」として特別支援学級や支援学校を否定するどころか、その場こそが人間の発達を保障するものだという考え方をしています。
この団体の歩みを歴史的に溯ってみても、共に学ぶ普通学級を前提に考えることはなく分離教育を前提に研究や実践を重ねているのです。
したがって、今回の国連勧告を受け入れることは組織の存亡に関わる話になってしまうのでしょう。

文科省とはまた違った意味で分離教育を推進する団体と言わざるを得ません。
そして、文科省と同じように「インクルーシブ教育」という文言は否定せず、全障研として任意に解釈して活用しているのです。

(つづく)


<すばる>


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