江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

小学校高学年への「教科担任制導入」に反対する(2)

2020-09-18 | 随想
②高学年しか担当しない小学校教員でよいのか

確かに、高学年(5・6年生)の児童の指導は苦労がある。
この頃は、なかなか担任希望者が確保できず、高学年をぐるぐるローテーションしている教員や(揶揄して雷様と呼ばれる)
異動したばかりの教員が5年生を担任するケースも多い。
教科指導にもそれなりの研究が必要だろう。

しかしだ。
小学校で「高学年しか担当しない教員」を作って良いのだろうか?
学校に入ったばかりの1年生や、「ギャングエイジ」(これもこの頃は効かなくなったかもしれない)と呼ばれた中学年。
小学校の6ヵ年の子どもの姿は、昆虫の「変態」を思わせるような、変化に富んでいる。
高学年といえども(というか、だからこそ)子どもたちの成長のプロセスについての理解は欠かせないと思うのだが。


③形だけの「教科担任制」になり、現場の負担が増える恐れがある

①で述べたように、現状では「小手先」の「教科担任制」になることが、十分予想される。
ただし、それにも関わらず現場に「教科担任制(もどき)」を押し付けてくることになると、どうなるか?
現場の工夫ややりくりで「教科担任制」らしきことが横行するのではなかろうか?

つまり、現在の高学年担任の時間割の中で、「空き時間」となっている「専科(音楽や図工など)」
の時間を別のクラスの授業に当てる(例えば理科・例えば社会)ことになる。
これは「交換授業」であって「教科担任制」ではない。
しかも、本来であれば活かすべき「専門性」も、学校ごとに異なる事情によって、無関係な教科を担当することが押し付けられてしまう。

さらに、空き時間がなくなり授業準備や後処理は、「勤務時間外」になることは必至だ。
「働き方改革」など、まさに「絵に描いた餅」である。


④授業準備と後処理が勤務時間内にできるような制度設計こそ基本だ

現在、「英語」教科化に伴って、「英語専科」が導入されているが、全くの少数だ。
「教科担任制」の「本格的導入」というなら、英語専科の全校配置を実現させてからだろう。
英語専科の全校配置もできずにいるにも関わらず、「こんなことができます」とばかりに、
宣伝文句を並べて社会に発表するのはいい加減にしてもらいたい。

さらに、高学年の授業について「発達段階、外国語授業をはじめとした教育内容の専門性の向上」を掲げるならば、まず取り組むべきは、
担任が「授業準備と後処理」について「勤務時間内」に行うことができるような制度設計をすることだ。

現在、そのほとんどが「勤務時間外労働」で賄われているのが現状だ。
教員には「給特法」の規定により残業代が支払われないので、教員の「使命感や充実した授業が出来た時の達成感」
「子どもからの高評価もらえた喜び」などに、全面的に依存している。
まずは、この現状を変えるべきではないか?

-K.H-

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