江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

大川小学校だけの問題ではないー1

2018-08-04 | 江戸川区教組
2014年、東部の教研で大川小学校の問題を聞いたことをきっかけに、私は、大川小学校の問題を考えなければならない問題だと意識するようになった。

とりわけ、51分もの間、逃げずに何をしていたのか、なぜ裏山に逃げなかったのかを知りたいと思った。
本やインターネット情報だけでなく、実際に現地に行って、本当に裏山に登れるのか、登れないのか見て確かめたいとも思った。

私が大川小学校を訪問したのは、今回で3回目。初めて大川小学校を訪問したのは、2015年の夏休みである。
組合の先輩と一緒に行った。大川小学校があるあたりは、美しく豊かな自然に囲まれたところだった。

この自然の中で、子どもたちは、のびのびと生活していたのだろうなぁと想像した。
大川小学校からは、北上川は見えないということや、3月11日、雪が降っていたとしてもこの裏山には、登れるということがはっきりと分かった。


2回目に大川小学校に行ったのは、昨年の夏休み。
この時は、写真と説明書きのある看板が立ててあった。
写真から津波到達地点より高いところで学習活動をしていたことが分かった。

裏山を登って左手に行くとコンクリートのかなり広いスペースがあり、そこからは、北上川が見えることやこの場所は津波到達地点より高い場所にあることが分かった。

なぜ、すぐに裏山に逃げなかったのか、本当に津波が来るとは思っていなかったのか。
一人でもいいから、「裏山に逃げろ」と叫んで行動する教員がいれば、助かったのではないかと思った。


今回、佐藤さんに直接大川小学校で写真を見ながらお話を伺うことで、より当時の状況を想像することができた。
「命が輝いていた」と佐藤さんは言っていた。

休み時間に校庭で遊ぶどこにでもある学校の日常が一瞬にしてなくなってしまったこと、子どもたちの逃げたルート等を知ることができた。
子どもたち、先生たちは、1分間あの狭い場所を1列になってどんな思いで逃げたのだろう。

一番悔しく無念だったのは、亡くなった子どもたち、教員たちだったに違いない。
待機していたスクールバスの運転手さんもそうだ。

地域の人が最初、「津波が来る。山へ逃げろ」と教員に言って先に逃げたという話を伺った。
この時点で、すぐ逃げればよかった。

「ここにいたら死んでしまう」「山さにげっぺ」という子どもの訴えがありながら、ラジオから流れる大津波警報を聞いてもなお、組織的判断を下すことができなった教員集団の問題について、佐藤さんは、「今まで通り」「他と同じ」「上部からの指示」というよくある考え方の問題点を指摘されていた。

命が最優先にされていなかった。
事前に作成されたマニュアルも命を守るマニュアルではなかった。
(つづく)


<おいしかったさんま>

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