江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

ドイツと日本の違い 「ほんの少しは足元に近づける?」(1)

2021-02-10 | 随想
戦後稀にみる悪質な安倍政権は頭目が自ら去ったことで終わりましたが、その後に出てきた菅政権はまたまた救いようのないダメな代物。
時まさにコロナ禍にあって、世の中の閉塞感はますます高まっています。
そんな折、弊センターに一通の手紙が届きました。
溜まりに溜まった憤懣が便箋にぶちかまされていました。
そこに述べられていたのは、「戦後日本の民主主義が本当の意味で根付かず宙ぶらりんのまま今日まで来てしまった」感に溢れていました。
手紙の送り主はブログ化されることへの躊躇があるようですが、敢えて管理人の責任と判断で掲載することにします。



75年前の同じ敗戦国であるドイツと日本、その後立ち直り現在に至るが、国際社会における信頼される国家か否か、大きな違いがある。

世界の中で発せられる言葉が重みのあるものと認められることの多いドイツ。
反対にどうしてそうなるのと言うようなことが平気でまかり通る日本。

敗戦の後、互いの地で復興に取り組みを進めたのは同じ。
唯一大きな違いは、
それは75年前の践祚責任をどう負うのか国民一人ひとりが考えているか否かということ!
そう! ドイツは一人ひとりの国民に戦争責任の重みが感じ取ることができる。
分断を乗り越え、統一を果たす。
そして、今後二度と同じことを繰り返さないためどうすべきかと考え、行動する人が多い。

ヴァイツゼッカ―大統領の
「過去に目を背けるもの人は結局のところ現在にも目を背ける」の言葉にあるよう、ドイツのこれまでの行為を全て認め、そして反省し、それを踏まえたより良い生き方を鑑み、国として責任を果たすべく取り組みを続ける国、ドイツ。

それに比べて日本は・・・
未だ自分の周りの国々と当たり前に仲良い関係が作れない。
75年も経とうというのに。
いや、近頃ますます関係悪化が進行していると言わざるを得ない。
尖閣諸島問題、竹島問題等が挙げられ、すったもんだの繰り返し!


ドイツの戦争責任の取り方。
まずはナチスドイツのしたことを認め、すなわちドイツが国家として行った蛮行を教科書に明記して二度と同じ過ちを繰り返させない取り組みを続けている。
ナチスドイツにおける戦争責任者への時効はなく、生存する限り追及される。
これがドイツ!

他方、日本は?
東京裁判で裁かれはした。
しかし、1952年占領が終わると生き残りの戦争責任者たちがまたもや雨後の筍の如く現れる。
そんな国、日本“!

もう二度と戦争はごめんだ、同じ過ちを繰り返させないため、大日本帝国憲法から日本国憲法に変えた。
憲法前文にも戦争しないで国際紛争を解決する国になると明記されている。

しかし、日本国憲法第一章はなんというタイトルであろうか⁉
ナ!なんと!天皇。
前文であれだけ世界平和を推し、今後の世界平和のために貢献すると謳う日本。
戦争では、天皇のためにアジアの人々の財産を奪い、命を奪ったではないか!
天皇制という過ちを存続させる限りアジアの人々は日本を信用しない。

(つづく)

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