2日目は福島県教組から線量計を借りて、「避難指示区域」(避難解除準備区域・居住制限区域)の村や町をバスで巡った。
竹中柳一さん(福島退教・元県教組委員長)の案内でバスは進む。
飯野町・川俣町を通過する。
道の両脇の畑には前日に降った初雪がうっすらと積り、朝日をきらきらと反射している。
木々の枝に降りかかっている雪もきれいだ。
最初の到着地は飯舘村の前田公民館だ。
公民館の向こうには畑だった場所に、フレコンバッグの山が大量に緑のビニールシートで覆われ積まれている。
1.5mの空間線量は0.35μ㏜だが5cmの地面は0.97μ㏜と高い。
当初の予定は酪農家の長谷川健一さんの牧場に行くはずでした。
しかし、前日の初雪で牧場がぬかるみバスが入れないため、前田公民館での講話になった。
飯舘の放射線量は福島の二倍あるが、国は線量をいかに低く見せるか抑えるか操作している。
飯舘村は良いところだったが、今はフレコンバッグの山が至るところにあり、235万個もあちこちに仮置きされている。
福島県全体では2200万個もある。
事故当時は原発から45Kmも離れており、放射能に対する認識不足もあって避難が遅れた。
京大今中教授は「危険人は住めない」と警告したが、長崎大の教授は「大丈夫」と安全神話をばらまき、自主避難者が戻ってきて被害を拡大させた。
そして、飯舘の村長は住民避難を拒否し村を守ることを最優先させた。
村民は村から一時間圏内に避難して村に通い、二年で村の再興をはかることを告げた。
村民の悲劇はここから始まる。
まず汚染された牛全部のを命じられ、相馬市の酪農家は前途を悲観して自殺。
飯舘の102歳のおじいさんは「非難の足手まといになる、長く生き過ぎた」と自殺。
南相馬市のおばあさんは「私は墓に避難します」と・・・。
浪江では牛舎に入れられたままの餓死した牛を豚が食べるなど想像を絶する光景も起きていた。
10/28日から大熊町と双葉町の中間貯蔵施設が稼働した。
大熊の「土壌貯蔵施設」は5万立方mだ。
今後貯蔵設備を広げ、東京ドーム18個分にあたる福島県内の汚染土の2200万立方mを保管する予定という。
これらは汚染土だが、可燃物のフレコンバッグもあり、これらの数は明らかにされていない。
可燃物を燃やした焼却炉からは、焼却灰がフィルターを素通りして放射能汚染を拡散している。
村長は村の再建を「道の駅」や「幼・小・中一貫校」「全天候型の体育館」の建設など目に見える「箱モノ」に目が向いている。
放射能対策や村民のくらし・安全や健康は二の次になっているのが許せないと云う。
事実「道の駅」には、コンビニが二軒あるが人が誰もこない。
村は一時間に1250円の助成金をだしている。
「道の駅」のオブジェに1600万円とか金をかけ、「幼・小・中一貫校」「全天候型の体育館」の建設には63億円をかけている。
かつて酪農王国だった飯舘は、今は野生の王国になった。
イノシシ・サルはどんどん増え続け、我が物顔で歩いている。
いずれ「人間が野生動物に囲まれた枠の中で生活」するようになると長谷川さんは冗談交じりに言うが、人が住まない、住めない村の荒廃は深刻だ。
野生イノシシの肉は、1600㏃と高濃度の汚染だ。
村は田畑の維持管理(耕す・除草)に10aあたり5千円の補助を出している。
上限が35000円でそれも来年度で打ち切り。
長谷川さんは耕作が出来ない家の農地を、有志の農家5人で耕作し蕎麦を作っている。
蕎麦は50㏃以下の基準をクリアーし、商品になったが風評被害で買いたたかれる。
蕎麦の乾燥施設を飯舘に作るため国と交渉し3年もかかった。
ようやく認可が下りて来年から乾燥施設の建設着工に入るという。
飯舘のキノコの汚染度はけた外れ。
通常は線量計で0.3μ㏜が28000㏃もあった。
これを村民は食べている。
食品として体内に入ると内部被爆するので怖い。
それで食品放射能検査機も10台入れることにした。
チェルブイリにも行ってきて、乾燥キノコもらったので調べたら1730㏃もあった。
事故から30年経ってもこの数値に驚く。
長谷川さんは最後に言った。
「チェルノブィリから日本は何も学んでいない」と。
<F>
竹中柳一さん(福島退教・元県教組委員長)の案内でバスは進む。
飯野町・川俣町を通過する。
道の両脇の畑には前日に降った初雪がうっすらと積り、朝日をきらきらと反射している。
木々の枝に降りかかっている雪もきれいだ。
最初の到着地は飯舘村の前田公民館だ。
公民館の向こうには畑だった場所に、フレコンバッグの山が大量に緑のビニールシートで覆われ積まれている。
1.5mの空間線量は0.35μ㏜だが5cmの地面は0.97μ㏜と高い。
当初の予定は酪農家の長谷川健一さんの牧場に行くはずでした。
しかし、前日の初雪で牧場がぬかるみバスが入れないため、前田公民館での講話になった。
飯舘の放射線量は福島の二倍あるが、国は線量をいかに低く見せるか抑えるか操作している。
飯舘村は良いところだったが、今はフレコンバッグの山が至るところにあり、235万個もあちこちに仮置きされている。
福島県全体では2200万個もある。
事故当時は原発から45Kmも離れており、放射能に対する認識不足もあって避難が遅れた。
京大今中教授は「危険人は住めない」と警告したが、長崎大の教授は「大丈夫」と安全神話をばらまき、自主避難者が戻ってきて被害を拡大させた。
そして、飯舘の村長は住民避難を拒否し村を守ることを最優先させた。
村民は村から一時間圏内に避難して村に通い、二年で村の再興をはかることを告げた。
村民の悲劇はここから始まる。
まず汚染された牛全部のを命じられ、相馬市の酪農家は前途を悲観して自殺。
飯舘の102歳のおじいさんは「非難の足手まといになる、長く生き過ぎた」と自殺。
南相馬市のおばあさんは「私は墓に避難します」と・・・。
浪江では牛舎に入れられたままの餓死した牛を豚が食べるなど想像を絶する光景も起きていた。
10/28日から大熊町と双葉町の中間貯蔵施設が稼働した。
大熊の「土壌貯蔵施設」は5万立方mだ。
今後貯蔵設備を広げ、東京ドーム18個分にあたる福島県内の汚染土の2200万立方mを保管する予定という。
これらは汚染土だが、可燃物のフレコンバッグもあり、これらの数は明らかにされていない。
可燃物を燃やした焼却炉からは、焼却灰がフィルターを素通りして放射能汚染を拡散している。
村長は村の再建を「道の駅」や「幼・小・中一貫校」「全天候型の体育館」の建設など目に見える「箱モノ」に目が向いている。
放射能対策や村民のくらし・安全や健康は二の次になっているのが許せないと云う。
事実「道の駅」には、コンビニが二軒あるが人が誰もこない。
村は一時間に1250円の助成金をだしている。
「道の駅」のオブジェに1600万円とか金をかけ、「幼・小・中一貫校」「全天候型の体育館」の建設には63億円をかけている。
かつて酪農王国だった飯舘は、今は野生の王国になった。
イノシシ・サルはどんどん増え続け、我が物顔で歩いている。
いずれ「人間が野生動物に囲まれた枠の中で生活」するようになると長谷川さんは冗談交じりに言うが、人が住まない、住めない村の荒廃は深刻だ。
野生イノシシの肉は、1600㏃と高濃度の汚染だ。
村は田畑の維持管理(耕す・除草)に10aあたり5千円の補助を出している。
上限が35000円でそれも来年度で打ち切り。
長谷川さんは耕作が出来ない家の農地を、有志の農家5人で耕作し蕎麦を作っている。
蕎麦は50㏃以下の基準をクリアーし、商品になったが風評被害で買いたたかれる。
蕎麦の乾燥施設を飯舘に作るため国と交渉し3年もかかった。
ようやく認可が下りて来年から乾燥施設の建設着工に入るという。
飯舘のキノコの汚染度はけた外れ。
通常は線量計で0.3μ㏜が28000㏃もあった。
これを村民は食べている。
食品として体内に入ると内部被爆するので怖い。
それで食品放射能検査機も10台入れることにした。
チェルブイリにも行ってきて、乾燥キノコもらったので調べたら1730㏃もあった。
事故から30年経ってもこの数値に驚く。
長谷川さんは最後に言った。
「チェルノブィリから日本は何も学んでいない」と。
<F>