江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

「18歳選挙権」はどうだったか・・・?

2016-07-15 | 随想
今回の参議院選挙から日本の国政選挙では初めて18歳と19歳が投票行動に参加した。

総務省の抽出調査によると、投票率は18歳が51.17%(男49.43%、女53.01パーセント)、19歳が39.66パーセント(男37.31%、女42.11パーセント)という結果だった。
尚、全国平均では54.70%で前回より2.09ポイント上回ったが、過去4番目に低い投票率だったと報じている。

まだ正確な数字ではないものの、18,19歳の投票率は全体の投票率より格段に低い結果に終わったことは確かなようだ。

時間が経てば20歳以上も数字が出てくるだろうが、今回初めての国政参加は話題の18,19歳だけではなく20,21,22歳の若者も同様である。
この世代がどういう投票行動をとったか、後ほど明らかになるであろう。


私は、今年の2月29日の当ブログで「若者たちよ選挙に行こう!」と訴えたが、その結果が今回の選挙で示されたわけだ。
そこでは、今まで最も若い世代であった20~24歳の投票率が30%あまりで上のどの世代よりも低い数字であった。
この傾向はドイツの調査(日本より全体的に高いが)を見てもほぼ似たようなものだった。
その意味では、今回の参議院選挙の結果もある程度は予想できたとも言える。

しかし、率直に言って残念である。
期待した割には投票行動に参加してくれなかったからだ。
・・・・・
と、ここまで記事を書いていたら朝刊(東京新聞7/15)が届いた。
そこには、「都の18歳投票率60.53%」という見出しがあった。
全国平均より10ポイント近く上回っているではないか・・・。
とりわけ18歳女子の投票率は62.71%と際立っている。

ここから先、若者の投票率の低さを縷々分析しようとしていた矢先に出鼻をくじかれた感があるが、少しはホッとした。

とは言っても気になる点がある。
それは男女差である。
18歳も19歳も、そして東京都の18歳(男53.18%)も女子が男子を圧倒している。
これには思い当たる節もある。

小学校6年生に「18歳選挙権、賛成or反対?」の授業をしたときのことを思い出した。
圧倒的に賛成が多かったものの、反対派は男子に多く賛成派は女子に多かった。
また、ディベートで発言の多いのは男子だったが、印象的な発言があった。
「高校生は部活や受験で政治のことをあまり考える余裕がないと思うので反対です。」
高校生だけではなく大学1年生も含まれているわけだが、こんな感じで棄権した者もいたのだろうか・・・。

小学生と同列には論じられないのは分かっているが、たしかに女の子の方がしっかり学んでいる。
選挙に関わる過去の歴史や憲法の三本柱などもきちんと調べ、ノートに念入りに記述している。
そこには、政治参加の男女差別についても触れられているのだ。
敢えて言うなら、男の子はディベートでは自己主張をしっかりとできる者が多い反面、ノートにまとめたりするのは苦手なようである。
今回の選挙でどれだけ自己主張できたか、追跡調査をしたいものだ。
しっかりせよ! 男子!

18,19歳の比例区の投票先では約半数近くが自民・公明党に入れたという調査結果もあるが、このあたりは未だ政策や党の体質といったものに充分触れることのない彼らには致し方ないことかもしれない。
まずは今回、投票しただけでも良しとしたい。
因に、私は今回18歳にターゲットを絞って反政権党の公選はがきを書いたが、あくまでも私個人の意思を伝える意味を持たせたつもりだ。
「先生は、どう考えるんですか?」という質問に、今は隠す必要はないと考えるからだ。

「主権者教育」でいうと、ドイツでは対立する見解のあるものは双方を平等に示して生徒に考えさせるというのが原則なようだが、日本では意見の割れる問題は学校で扱うことを戒める傾向が強い。
これは、ドイツでは一人ひとりが自分の考えを持てるようにするのが政治教育の目的になっている表れだが、「政治的中立」を盾に教員へ圧力をかけ結果的に何もできなくさせる日本とは何と異なることか!
教員や学校を雁字搦めにして、政権批判を許さない教育を遂行している政府こそ「政治的中立」を犯していると思うが如何なものだろうか?


さて、今回、都の18歳女子の健闘むなしく「改憲勢力三分の二」を許してしまったが、まだまだ諦めるわけにはいかない。
まして、初めて選挙に参加した若者たちにとっては、まだスタートしたばかりだ。
これから先が面白くなってくるはずだ。
いや、面白くするには私もやれることがある。
共により良い社会を創るための主体になろう!

最後に、今回の選挙に参加しなかった若者たちよ。
このままでは、「君たちに明日はない!」
映画、「俺たちに明日はない」の結末のように悲惨な最期を迎えてほしくない。
かと言って、「明日に向かって撃て」も結末シーンでの映像こそないものの同様な最期が音声で分かる。
「明日」はそのプロセスなくしてはありえない。
自分たち一人ひとりの責任で「明日」を創ろう!

政治的なものを無視して生活することは可能だ。
だが、生活が政治的なものと無縁には存在しない事実を認識してほしい。

次の機会こそ逃がさないでほしい。




<すばる>







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