ある宇和島藩士の江戸日記 古天気年代測定法で検証 3
2013年7月22日 月曜日 天気 晴
「伊予史談会」のブログ内に、「ある宇和島藩士の江戸日記」は、
愛媛県立図書館に「宇和島藩維新史料」という史料がありここに、収録されてありました。
以前より収集し大変興味があるデータで、古天気年代測定法を用いて検証していきたい。
「ある宇和島藩士の江戸日記」
筆者 不明
場所 江戸
年代不明(天保十二年以前)の六月一日から六日間の日記
六月一日 晴 この日は夜になり、風が吹き始める。
六月二日 雨
六月三日 雨
六月四日 雨 六ツ頃(又は四ッ)に地震があった。
六圧五日 薄曇り
六月六日 晴れ (外出先の堺町は当時の芝居町で、現在の中央区日本橋人形町三丁目のあたり。歌舞伎劇場・操り人形芝居・見世物などの興行に加え、芝居茶屋や各種の商店もあり、賑やかであった。天保12(1841)年の火事を機に幕府により芝居町の強制移転が行われているので、この江戸日記がそれより以前のものであることがわかる。)
古天気年代測定法を用いて年代を検証
「テータ変換」
年月日 年代不明(天保十二年以前)の六月一日から六日間の日記 (天保十二年より以前)
場所 江戸
天気種類 六月一日 晴 この日は夜になり、風が吹き始める。
六月二日 雨
六月三日 雨
六月四日 雨 六ツ頃(又は四ッ)に地震があった。
六圧五日 薄曇り
六月六日 晴れ
吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)より 寛政十二年(1800年)から天保十五年(1844年)間
享和一年六月一日 1801 7月11日 晴
享和一年六月二日 1801 7月12日 晴(曇)
享和一年六月三日 1801 7月13日 曇(雨)
享和一年六月四日 1801 7月14日 曇
享和一年六月五日 1801 7月15日 晴(曇)
享和一年六月六日 1801 7月16日 晴(曇)
文化四年六月一日 1807 7月6日 曇(雨)
文化四年六月二日 1807 7月7日 雨
文化四年六月三日 1807 7月8日 雨
文化四年六月四日 1807 7月9日 晴
文化四年六月五日 1807 7月10日 曇
文化四年六月六日 1807 7月11日 晴(曇)
文政八年六月一日 1825 7月16日 曇(雨)
文政八年六月二日 1825 7月17日 雨
文政八年六月三日 1825 7月18日 曇(雨)
文政八年六月四日 1825 7月19日 曇(雨)
文政八年六月五日 1825 7月20日 晴(曇)
文政八年六月六日 1825 7月21日 晴(曇)
文政十年六月一日 1827 6月24日 晴
文政十年六月二日 1827 6月25日 晴
文政十年六月三日 1827 6月26日 曇(雨)
文政十年六月四日 1827 6月27日 曇
文政十年六月五日 1827 6月28日 曇
文政十年六月六日 1827 6月29日 晴
天保五年六月一日 1834 7月7日 晴(曇)
天保五年六月二日 1834 7月8日 雨
天保五年六月三日 1834 7月9日 雨
天保五年六月四日 1834 7月10日 雨
天保五年六月五日 1834 7月11日 晴(曇)
天保五年六月六日 1834 7月12日 晴
「検証結果」
享和一年六月一日~六日 50%
文化四年六月一日~六日 50%
文政八年六月一日~六日 62.5%
文政十年六月一日~六日 50%
天保五年六月一日~六日 75%
「検証結論」
寛政十二年(1800年)から天保十五年(1844年)間では、天保五年六月一日より六日までの天気「ある宇和島藩士の江戸日記」と「吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB」が下記のように一致している。
天保五年六月一日 1834 7月7日 晴 夜風 晴(曇)
天保五年六月二日 1834 7月8日 雨 雨
天保五年六月三日 1834 7月9日 雨 雨
天保五年六月四日 1834 7月10日 雨 六ツ頃地震 雨
天保五年六月五日 1834 7月11日 薄曇り 晴(曇)
天保五年六月六日 1834 7月12日 晴 晴
天保五年六月一日 夜風 「吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB」では、風の資料が無いの為、不明。
天保五年六月四日 六ツ頃地震 被害の記録が無い為、大地震では無かったので他の文献資料が無いのか。
「古天気年代測定法で検証」
「ある宇和島藩士の江戸日記」六月一日より六日までの天気より、古天気年代測定法で検証した結果 結論として
年代が不明であったが、天保五年六月一日(1834年7月7日)から六月六日(7月12日)と特定しました。
2013年7月22日 月曜日 天気 晴
「伊予史談会」のブログ内に、「ある宇和島藩士の江戸日記」は、
愛媛県立図書館に「宇和島藩維新史料」という史料がありここに、収録されてありました。
以前より収集し大変興味があるデータで、古天気年代測定法を用いて検証していきたい。
「ある宇和島藩士の江戸日記」
筆者 不明
場所 江戸
年代不明(天保十二年以前)の六月一日から六日間の日記
六月一日 晴 この日は夜になり、風が吹き始める。
六月二日 雨
六月三日 雨
六月四日 雨 六ツ頃(又は四ッ)に地震があった。
六圧五日 薄曇り
六月六日 晴れ (外出先の堺町は当時の芝居町で、現在の中央区日本橋人形町三丁目のあたり。歌舞伎劇場・操り人形芝居・見世物などの興行に加え、芝居茶屋や各種の商店もあり、賑やかであった。天保12(1841)年の火事を機に幕府により芝居町の強制移転が行われているので、この江戸日記がそれより以前のものであることがわかる。)
古天気年代測定法を用いて年代を検証
「テータ変換」
年月日 年代不明(天保十二年以前)の六月一日から六日間の日記 (天保十二年より以前)
場所 江戸
天気種類 六月一日 晴 この日は夜になり、風が吹き始める。
六月二日 雨
六月三日 雨
六月四日 雨 六ツ頃(又は四ッ)に地震があった。
六圧五日 薄曇り
六月六日 晴れ
吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)より 寛政十二年(1800年)から天保十五年(1844年)間
享和一年六月一日 1801 7月11日 晴
享和一年六月二日 1801 7月12日 晴(曇)
享和一年六月三日 1801 7月13日 曇(雨)
享和一年六月四日 1801 7月14日 曇
享和一年六月五日 1801 7月15日 晴(曇)
享和一年六月六日 1801 7月16日 晴(曇)
文化四年六月一日 1807 7月6日 曇(雨)
文化四年六月二日 1807 7月7日 雨
文化四年六月三日 1807 7月8日 雨
文化四年六月四日 1807 7月9日 晴
文化四年六月五日 1807 7月10日 曇
文化四年六月六日 1807 7月11日 晴(曇)
文政八年六月一日 1825 7月16日 曇(雨)
文政八年六月二日 1825 7月17日 雨
文政八年六月三日 1825 7月18日 曇(雨)
文政八年六月四日 1825 7月19日 曇(雨)
文政八年六月五日 1825 7月20日 晴(曇)
文政八年六月六日 1825 7月21日 晴(曇)
文政十年六月一日 1827 6月24日 晴
文政十年六月二日 1827 6月25日 晴
文政十年六月三日 1827 6月26日 曇(雨)
文政十年六月四日 1827 6月27日 曇
文政十年六月五日 1827 6月28日 曇
文政十年六月六日 1827 6月29日 晴
天保五年六月一日 1834 7月7日 晴(曇)
天保五年六月二日 1834 7月8日 雨
天保五年六月三日 1834 7月9日 雨
天保五年六月四日 1834 7月10日 雨
天保五年六月五日 1834 7月11日 晴(曇)
天保五年六月六日 1834 7月12日 晴
「検証結果」
享和一年六月一日~六日 50%
文化四年六月一日~六日 50%
文政八年六月一日~六日 62.5%
文政十年六月一日~六日 50%
天保五年六月一日~六日 75%
「検証結論」
寛政十二年(1800年)から天保十五年(1844年)間では、天保五年六月一日より六日までの天気「ある宇和島藩士の江戸日記」と「吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB」が下記のように一致している。
天保五年六月一日 1834 7月7日 晴 夜風 晴(曇)
天保五年六月二日 1834 7月8日 雨 雨
天保五年六月三日 1834 7月9日 雨 雨
天保五年六月四日 1834 7月10日 雨 六ツ頃地震 雨
天保五年六月五日 1834 7月11日 薄曇り 晴(曇)
天保五年六月六日 1834 7月12日 晴 晴
天保五年六月一日 夜風 「吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB」では、風の資料が無いの為、不明。
天保五年六月四日 六ツ頃地震 被害の記録が無い為、大地震では無かったので他の文献資料が無いのか。
「古天気年代測定法で検証」
「ある宇和島藩士の江戸日記」六月一日より六日までの天気より、古天気年代測定法で検証した結果 結論として
年代が不明であったが、天保五年六月一日(1834年7月7日)から六月六日(7月12日)と特定しました。