ONCC摂津教室 平成29年度第5期生 歴史と文学の”人と心”を学ぶ科

摂津市コミュニティセンターで、若井敏明先生、鈴木明子先生、斉藤恵美先生の先生方が交代で講義していただく教室です。

H30.01.15. 白河法皇 & 懇親会

2018年01月15日 | 日記

新年に入って初めての授業でした。今日はコンベンションホールの部屋で

の講義でしたが、若井先生の声が反響し少し聞きにくかったです。

先生も気を使われて休憩の時間に皆に声が聞き取れるか確認してくださいました。

白河法皇                  

①後三条天皇の即位

 後三条天皇と藤原氏:藤原氏の摂関政治の終息

 延久の荘園整理令:実態のある荘園整理の開始

 後三条天皇の上位・白河天皇の即位

  後三条天皇は4年で退位:退位の理由について

  体調不良・院政をしたいなど諸説あり 

②白河天皇の思惑:白河天皇は「中継ぎ」とされた

 自分の子供(堀河天皇)を後継者にし上皇として

 政務を執り甥にあたる実仁・輔仁両親王を排除

③白河院制

 摂政藤原師実との協調、堀河の成人と藤原師通

 子の堀河天皇死去、孫の鳥羽天皇即位により院政本格化

 後三条天皇の政策継承:中御門宗忠『中右記』に記載

 院政イメージ:北畠親房『神皇正統記』中御門宗忠『中右記』、『源平盛衰記』

  1、在位14年、退位後43年にわたり幼主3代 天下の政を執ること57年

  2、天下三不如意 :上皇のままならないもの

   (山法師・鴨川の水・双六の賽)<比叡山、自然界の猛威、サイコロの目>

  3、寺院権門間の争い(延暦寺 対 園城寺)など

 院政の性格:古代専制主義、恣意的な性格否定できず

④白河院政の「遺産」

 受領(ズリョウ)の功・・院のお気に入りが国司になる

 恣意的人事・・鳥羽天皇21歳を退位させ、崇徳天皇5歳を即位させた

 崇徳天皇出自の疑問・・崇徳天皇は鳥羽天皇と待賢門院璋子の子ではなく

            白河上皇と璋子の子ではないか?

⑤鳥羽上皇の政治と宮廷の抗争

 白河上皇死去のあと鳥羽院制の始まり、崇徳天皇の譲位と近衛天皇の即位

 結論 *白河天皇は院政という新しい政治体制を作り出した。

    *院政は親子祖父子ならよいが、叔父ではダメ

    *治天の君(上皇)が治め、天皇は治天のもとで「政」(マツリゴト)をした

    *中継ぎは嫌だという白河の個人的利害に始まった政治体制が成立した


 午後からは場所を茨木の『天狗』に移して、若井先生にもご出席していただき、

 和気あいあい、懇親会を開催しました。

 

 

 


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