阪急電車の人身事故の影響で30分くらい開始が遅れ
ました。午前中は鈴木明子先生の「藤原道長」です。
遅れのせいか息せき切って講義を始めた先生の初々
しい表情をみました。
『藤原道長』
平安中期の政治家。摂関政治の全盛期を築き、貴族の頂点に君臨栄華を誇った
三人の娘が中宮(皇后)となり娘に生まれた三人の皇子がそれぞれ天皇となった
(1)貴族の世界
①貴族とは:日本の貴族は中国から学んだ律令制から逸脱し、聖武天皇の墾田永年
私財法、有力貴族・寺社への税金免除など原則を逸脱した不思議で矛盾した存在
中央政府は全く機能しなかった。
②平安貴族の範囲:30階級中の三位までを上級貴族、四・五位を中級貴族それ以下
を下級貴族とした。官僚となる以外職はなく、出世が唯一の道。
③儀式万能の時代:万事が儀式として扱われ儀式に明け暮れた時代。
④摂関政治と当時の婚姻(婿取婚)
1、摂関政治:藤原氏が摂関を独占、天皇の政治の代行補佐を行い実権を握る。
2、婿取婚:庶民層を含め妻方に居住、夫の両親と同居することは全くない。
(2)道長の生涯
①道長の生い立ち:藤原兼家の5男、勝気な男の子であった
②摂関政治と権力争い・・道長の父藤原兼家の場合
左大臣源高明失脚、藤原氏の独占的地位確立、藤原家内部での権力争い熾烈
1、兼道 対 兼家 (兄弟対決)
2.花山天皇の退位:藤原兼家の計略により花山天皇は出家
3.父兼家の摂政就任と道長の異例の出世
②父と兄たちの相次ぐ死:父兼家の死後も、疫病などで兄弟が相次ぎ亡くなった
*姉(詮子)に愛された道長 : 『大鏡』に記載されている
③中関白家の没落:道長の兄、道隆一族と反目抗争を続け、道隆の長男伊周が
花山法王に弓を射掛けるに及んで地方へ配流、以後没落に至った。
④彰子の入内(じゅだい)と出産
1.一条天皇と中宮定子の愛:伊周配流後も一条天皇は伊周の妹である定子を
寵愛、没落した家系のものを受け入れた天皇を世間は非難した
2.史上最年少の入内:一方一条天皇は道長の娘彰子を入内させ、定子・彰子
のそれぞれが懐妊、天皇は一帝二后とした(前代未聞)
3.懐妊と出産
*孫がかわいくてならない道長:彰子の子敦成親王(後一条天皇)を溺愛
*酔い泣きする道長(土御門邸行幸):『紫式部日記』
参考:紫式部は彰子に仕えていた
⑤この世はわが世:その後は道長一族が繁栄、太皇太后・皇太后・中宮の三宮が
すべて道長の娘(一家三后)
⑥道長の悲しみと死:自身の病気と一家の病死などが続き道長は衰弱
(3)浄土信仰(阿弥陀仏の国土である西方極楽浄土へ往生することを願う)
極楽浄土信仰
①病弱な道長--病気と浄土への願い:病気と闘いながら浄土信仰を強めた
②平安貴族と浄土信仰:平安中期に極楽浄土信仰は急速に広まった『往生要集』
道長は法成寺を建立し、浄土教の作法に従い臨終を迎えた、享年62歳