鈴木明子先生の今年度最後の授業、テーマは『紫式部』です。
昨年11月27日に受講した『清少納言』と対比しながら講義をされました。
両者の生活ぶりや性格の違いなどがわかり興味がわく講義です。
紫式部
『源氏物語』の作者、973?-1014? 父藤原為時は高名な漢学者。
26歳で藤原宣孝と結婚、娘を生むが3年足らずで夫と死別。その後一条天皇の
后であった彰子に宮仕えして、源氏物語を書く。
(1)女房の世界<11月の講義をさらに詳しく>
①女房とは:(房)部屋を与えられ主に仕えた女性。
②仕事:日常生活への奉仕・話し相手・教育係・とりつぎ(最重要)
③給与:位に応じた公的給与・后や后の実家からの給与・下賜品・
「得意ども」(パトロン)からの金品
④女房に対する世間の目:宮廷内に暮らし、奈良時代に比べると女房や女官
として出仕することが恥であるという認識が生まれた
(2)紫式部 -生い立ちから宮仕えまで―
①生い立ち
・母と姉の死 父方に引き取られた(通常は母の実家が引き取った)
・親しくしていた「姉君」の死(亡くなった姉の代わりに思っていた)
・父は当代有数の漢学者であったが世渡り下手で浮世離れしていた
・幼いころから学者であった父親も認めるほど才能があった
②結婚
・父親と同じ年代の藤原宣孝と26歳ころ結婚、3年後に死別
・やがて気心の合う友人らと物語を書いて交換し、手紙で批評し合う
③宮仕え
・33歳ころ出仕するも宮中になじめず、すぐに実家へ退出
・本心を明かさず「おっとり作戦」で反感を持たれないよう出仕再開
・やがて嫌がっていた宮中での勤めが嫌でなくなっていった
・親友-同僚小少将の君-と互いの境遇や心のうちまで語り合う仲に
・女房としての自信がつくにつれ同僚批判もするようになっていった
紫式部
(4)紫式部の才能
①漢学の才
・紫式部は博学で漢籍の知識豊富、当時の「物語」はマンガ的存在
・女性が学問することに対する風当り、同僚のひがみあり
・中宮彰子への漢籍進講--人目を避けて楽府(政治思想の漢詩)進講
②才女批判
和泉式部に対し「口に任せて歌を詠むが和歌には精通していない」
清少納言に対し「利口ぶって漢字を書き、いつも風流ぶっている」
(3)身分を超える心
①この身と心---夫の死により自分の心と深く向き合う日を送った
②中宮を見る目(出産後の中宮の様子)---同じ女性として中宮を見る
③若宮誕生と天皇行幸---高貴な人に混じっての宮仕えも、共通する心を
持ちながら、絶対的に超えられない身分や男女の隔てに絶望
(5)物語と真実
日本紀などの記す歴史は世間の一部に過ぎない「物語」にこそ真実がある
・源氏物語編纂作業---藤原道長は最高の条件で編纂作業を援助、学識の
高い一条天皇をも熱心な読者として獲得
・「あなかしこ このわたりに わかむらさきやさぶらふ」
当代一の能力と教養があった藤原公任すら源氏物語を読んでくれた
『紫式部日記』を中心に講義を進められました。エピソードやパワーポイント
による説明がわかりやすいものでした。
*先生からのアドバイス*
せっかく平安時代の講座を受講したのですからこれからも続けてください。
『源氏物語』を読んでいない人はまず『落窪物語』から読むといいでしょう
平安時代のシンデレラ物語です。
『源氏物語』を読み終えた人には当時の貴族が詠んだ『宇津保物語』が
おすすめです。
鈴木先生、一年間ありがとうございました。