娘が保育園を休んでから1週間。2回目の週末を迎えます。
相変わらず癇癪があり、突然泣き出したりと情緒不安定。
食欲もなくなり、ごはんも、ひと口ふた口で止める事もありました(._.)
何かをしていると、保育園での出来事がフラッシュバックするようで、泣きながら話し出します。
「Aちゃんの足をね、引っ張っちゃったの。3回引っ張っちゃったの。助けるつもりだった。だから保育園行きたくないの。」
「Bくんがね、守るからって言ってくれたの。」
悲しいことや嬉しい事。
しっかりと印象に残った事は思いだすよう。
辛いよな(:_;)
大人でもこの作業は辛い。
だけど、こうやって吐き出す事は、本人にとってのこわい記憶を安全なものにすり替えて行く大事な事。
私もこの歳でいまだに過去の出来事を思い出します。その時の感情と共に。
若い頃より格段に減ったんですが、辛い。
他の4歳の事は、分からないけど、この小さな体で恐怖と闘うとは相当高度な事をしていると思う。自分には抱えきれないほどの恐怖なら、意識や思考を遮断して記憶から消してしまうと思うから、小出しでも少しずつ向き合うと言うことは凄いこと。
それが可能な人なら、長い人生、早ければ早い方がいいかも知れない。それが目の前に来ると言う事は、それが乗り越えられる程の器があると言うこと。
この子の魂の強さと偉大さを知る。
つくづく、子どもは親の所有物でもアクセサリーでもない。と思い知る。
そして、夕方、長男のお迎えで園へ。
娘は主人と留守番中。
園庭に副担の先生を発見。
そしてフェンス越しに私から声をかける。
「先生、娘の事でご心配をおかけしてます。」と、今の様子を伝える。
自分の親くらいのベテランのその先生は涙目で、話してくださる。
「お話しは聞きましたよ。そんな事があったなんて知らなくて。」
どうやら園全体の話し合いになっているよう。
娘が慕う、その先生は3時からの勤務。午前中に起きていた娘の不安など全く知らなかったよう。(._.)
だいたいに、娘の感受性の強さに気づき、個人的に対応してくださっていたよう。(_ _)
そして、今までは立場上、こうやって保護者と直接話す事も控えておられたそう。私が話しかけたことが本当に嬉しかったそうで、何度も感謝の言葉を言われた。
先生はどんな立場でも、子ども達や保護者にとったら間違いなく同じ先生なのに‥。子どもへの想いや愛からの行動がかき消される力関係があるのかも知れない。
そしてそれを、娘は察知していたのかもしれない。(;_;
何かは分からないけど、察知していたはず。
そして、涙目で先生は
「こんなことじゃいけないと思っています。お父さんお母さんも親になって数年。不安な事とか、これはどうなの?と思う事があればどんどん教えてください。私たちも変わっていかないといけません。」
と、おっしゃってくださいました。
そして、
この先生も、
「決して本人の前では、こう言う話はしないでくださいね」と、念を押されました。
そんな先生の思いが伝わって、感動の涙を流していました。
もしかしたら、娘は大人達に凄い訴えをしているのかもしれない。自分の苦しみを表現して、みんなに気づきを与えているのかもしれない。
その後、
園長が声をかけてくださいました。
今はこんな様子です。
もう少しお休みをいただくと思います。と伝えると‥
(娘の)敏感な気質の事をネガティブに捉えず、個性として尊重します。他にもそういう子が、居るかも知れないので。みんなが安心して過ごせる園にしていきたいです。お母さんも今は、辛いかと思いますが、何かあればいつでも声かけてくださいね。と言われました。
そして、他のクラスの担任の先生達も、涙目で挨拶をされました。
この問題はきっと軽はずみに口に出してはいけないんだろうな。全く関係ない世間話や、他の子の事をきっかけにして私に話しかけてくださる。
でも、そこには娘の事をちゃんと思ってますよ。と言うメッセージをしっかり受け取りました。
ありがたいことです。
最近、泣くことが多かったのですが、いつの間にか、感動の涙も多くなりました。
人と、人の心をつなげてくれる娘。
本人は辛いかもしれないけど‥
そして、ふと、名前の由来が、まさに「人と人の架け橋になりみんなで歩いて行ってね」と夫婦で考えてつけた事を思いだしました。
この子の使命だったのか。とも思いました。私たち夫婦も愛情を込めて愛情深く強く生きて言ってほしいとの思いを込めてつけました。だから、きっと大丈夫、この子を信じたい。親としてしっかりしよう。と思うのです。
続きます。