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さて、今日は雪に閉じ込められましたので、日頃、書きたいと思いながら書く機会が無かったある事件について書きます。
それは、先日映画「男たちの大和」を見に行った日のことです。私たちは上映時刻より50分ほど早く着いたので、カフェテラスに入りデモンストレーション用のVTRを見ながらアップルパイとコーラを楽しんでいました。50がらみの男が車椅子を押してスロープを上ってきた。彼らもだいぶ待ち時間があったから、私たちの隣の椅子とテープルを取った。主は80を優に超えたかなり大柄な男だ。年恰好からして、彼は参戦したに違いない。徴兵検査は甲種合格だったろうなどと勝手な想像をめぐらせていた。彼は遠慮気味に「○彦、私もコーラが欲しいな」と言った。「父さん、駄目だよ!映画の前に飲み物は」と間髪を入れずに息子は答えた。「頼むよ、小さいので良いから」「困るなあ、それだから」とぶつぶつ言いながら、息子は立った。
上映時刻が近付いたので、私はいつも通りトイレに立った。入り口が車椅子で塞がっている。その結果、彼らの言動を見聞きすることになった。息子は父親を前から抱き上げるようにして便器に座らせている最中だ。私の存在に気付かない。「ズボンをもっと下まで下げて、ほら駄目でしょうそれじゃ!」「ハイ」と彼は答える。「下着も下げて、○ちん○○を引っ張り出して、まだまだ、出しちゃ駄目だよ!もっとだよ、もっと。」「ハイ」と今度も素直に返事をする。この歴戦の勇者であろう男の弱弱しい「ハイ」はたまらなく辛かった。私なら処かまわず放尿してやる。
居た堪れず、3度目の「ハイ」を聞くことなく下の階へと降りた。
我々夫婦も子供には迷惑はかけたくないと思っております。それには呆けないように健康に気をつけて最後まで自分の事は自分で出来る様でありたい。と切に願っております。皆様今後とも何卒お宜しくお願いもうしあげます。
poloさんと熊子さんのコメントは何れも正論で、どちらに対しても意見はありません。
私も、昨年暮れ母親を施設に預けることにしました。
結果的には今は出来る限り顔を出して短時間でも面接し、家庭では気付かなかった世話話、母からの話を聞いています。
施設に預けたことについて、高世代の方からは自分の親なのだから、可哀想だ、自分勝手だ・・・等の言葉を聞くことがありますが、 母にとっても、私達兄弟夫婦にとっても最善の策だったと思っています。
ボロさん仰有るように、親だから家庭介護を続けるのが良いと思い、私も設備も備え即応できるように、今の家を造りました。
でも、それは若い頃に自分の体力も行動力もある時に考えたこと、自身にも老いが近づいてくるとお互いにそれで良いのだろうかと考えました。
poloさんの見聞された車椅子の親子、多分親孝行な息子さんだったのでしょう。
そのお父さんは「大東亜戦争」・・・古語・・・の映画「男たちの大和」を見たいと云って、息子さんに頼み、それを聞いて連れてこられたのでしょう。
いつもそのような乱暴な会話はしないのに、トイレの近いお父さんに「父さん、駄目だよ!・・・・・」と注意したのでしょう。なんて善意に解釈したいと思います。そうでないと遣り切れません。
私も、実の母の情けない姿を見ていたら・・・あれほど強く泣顔を見せたことのなかった母が・・・と思うと、つい強い言葉も出ることがありました。母が「ゴメンネ、迷惑掛けて」の言葉に、はたと我に返るのです。私の今あるのは誰のお陰なのか、この母があってこそ、世の中で活動できたのだとその時には思うのですが、又時間が経つと忘れ本音が、でもそれが本当の親子なのでしょう。
母を預けてから1ヶ月が過ぎ、母の生活を見ると、明るくなったように見えるのです。担当者の言葉でも、入所された当初は家に帰る、牢獄だなんて云っていたそうです。
ところが今ではホームの中の年長者でもあり、リーダー的に振る舞っていると聞き安心しています。
今は当人の希望もあるので「お茶の道具」を届け、それで茶会でもして自分も含め皆さんを癒されればと考えています。
車椅子の人を街中で目にする機会が多くなってきましたが、まだまだ、いろんな事情で、外の暮らしと遮断されがちな障害を持つ人が、家族の介護でこのように社会生活に参加することは当人にとって素晴らしいことと思います。
お手洗いでの親子の会話については、あえて触れないコメントになってしまいました。
してやってるんだ、とさせてもらうんだとの気持ちには大きな差があります。感謝の気持ちを忘れたら人間じゃないと思います。
poloさんが親に対する思い、これは大事なことだと思います。
私は父を亡くしてから、父にどれだけ感謝をしてきたのかと反省することがあります。生きている時は父を責めたこともある親不孝な娘でした。
でもどう書いていいのかわからなくて見るだけでした。
熊子さんが適切に書いてくれてほっとしています。私は熊子さんと同じ気持ちです。
介護されるほうも辛いでしょうが、介護するほうはもっと辛いと思います。毎日毎日のことで言葉が乱暴になりがちになるのかもしれませんがお父様か、介護対象者か知りませんが、本人のことを一番思っているのはこの50過ぎの男性の方ではないのでしょうか。
poloさんがお母様を介護されてきたのと比べ余りにも人権を無視したような言葉に悲しさを覚えられたのでしょうが、介護している人は侮蔑して言っていたのではないと思いたいです。でなければ映画館まで連れてはこないと思うからです。