ただの一言だって信じない
原作:Howard Hendricks
翻訳:polo181
私は、小学校5年生までは、人生に怒りを感じ誰からも愛されていないと思っていた。別の言葉で言えば自分の居場所を全部破壊したいと思っていた。環境になじめない悪ガキだったのかもしれない。そんな中で、私の先生であったミス・サイモンさんは私を自らの現状を認識できない遅れた生徒と見なして、口癖のように私をこう表現した。「ハワード君、あなたはこの学校で最も行儀の悪い子だわ」と。その言葉を聞く度に「それじゃ、何が問題なのか教えてください」と心で思ったものだった。その言葉を聞く度にびくびくするのだった。
云う必要もないことだろうが、この5年生が私の人生で最悪の時期だった。しかし時が過ぎて私は6年生に進級した。でも、私の耳の中ではサイモン先生の言葉が鳴り続けていた。「ハワード君、あなたはこの学校で最も行儀の悪い子だわ」とね。
ご想像下さい。6年生に進級するのがどれほど心の重いことだったかを。新学期の最初の日に、ミス・ノエ先生が出席簿を読み上げ始めました。私の名前が呼ばれるまでずいぶんと長いと感じていました。「ハワード・ヘンドリックス君!」と読み上げて、両手で顎を支えている私をチラリと見て、こう付け加えました。「私はあなたについてはいろいろ聞かされていますよ」、ちらりと見て微笑みながら「でも、私はそれらの一言だって信じないわよ!」
正直いって、この一瞬が私にとって決定的な転機となりました。勉強のみならず人生そのものの転換点でした。突然なんの前触れもなく、誰かが私を信じてくれる!生まれて初めて私の中に可能性を認めてくれたのだ。ノエ先生は私に特別な役目を与えたり、小さな仕事を任せたりしてくれるようになりました。放課後の特別授業に私を呼びつけて朗読や算数を教えてくれるようになりました。彼女は徐々にハードルを上げて行きました。
私は彼女が出す課題に全力を注ぐようになりました。実際、彼女が出した宿題に没頭して午前1時半を過ぎても机に座っていることすら珍しくなくなりました。父が降りてきて、「ハワード、どうしたの。具合でも悪いのか?」と聞くのでした。一体全体、5年生と6年生との間にどのような違いがあるというのか。ノエ先生のたった一言が私をして「この人の名誉を傷つけてはならない」と思わしめたのでした。
これにて、翻訳物はしばらくお休みします。
子供は10叱るより、1褒める方が伸びるものであることは、ノエ先生の教育でもはっきりしていますね。
一人一人の人権を大切にしてこそ、それらの子供たちが、認められたことに自信を持ってやる気を起こし、伸びていくもの・・・
キーワードでしたね、タイトルが。
「信じる」ではなく「信じない」をタイトルにして、やっぱりありましたどんでん返し。
このショートショートの本は言葉を巧みに使って人の心の綾を表現し、なおかつ印象的な言葉で結んでいる。
poloさんの分かり易い翻訳で大いに楽しませてもらっています。
えっ?しばらくお休みなんですか。ザンネン
楽しみにしています。また復活させてくださいね。
(翻訳にたいへんな時間を要するのに勝手ですね)
実に良い話ですね。人を活かのも、また駄目にするのも、何気なく口にする一言なのも知れません。そしてanikobeさんの仰るとおりで、褒めることと無条件に信じる事が大切なのでしょう。