アメリカ生活の想い出

1987年から5年間アメリカで過ごし全く英語が出来ないのに、地元のお年寄りと知り合い学び楽しく過ごした記録です。

エレンさんの手紙 93歳

2009-03-11 10:16:24 | Weblog
11/January/1993
Dear Masako
ニューイヤーカード有難うございました。ゆき子さんからも届きました。
ニューイヤーカードを入手するのが遅れました。本当に月日の経つのが早くてなかなかついてゆけません。お二人をはじめご家族の皆さんお元気のことと思います。ピーターは相変わらず毎日を楽しんでいます。私は貴方がシニアセンターにいないので、よく貴方の英語を冷やかしたことなど思い浮かべ淋しく思っています。

私にはクリスマスの前日とても悲しいニュースがありました。テキサスの息子がまだ66歳でしたが重い心臓マヒで亡くなりました。何の前兆もなく、彼はクリスマスの前の木曜日にオフィイスのクリスマスパーティに出かけようとしたところでした。
誰でもが大ショックでしたが、何とかこれを克服して将来に進まねばなりません。
貴方のハズバンドはあと数年で定年退職を迎えることを楽しみにしていることと思います。私は週2回シニアセンターで過ごします。貴方がいらした頃とはすっかり様変わりしました。バニースは病気で丸1週間休みました。彼女は貴方からカードを貰ったと言っていまいした。メイビーは3ヶ月介護ホームにいた後自宅に戻り、住み込みのヘルパーに終日世話をしてもらい、歩けないので車イスで散歩させてもらっています。メイビーは記憶力も目も耳もたいそう悪くなっています。先週の金曜日に91歳になりました。大変お気の毒です。
あなた方お二人が明るい幸せな新年を迎えられたことと信じます。
Yours sincerely,
Ellen

このお手紙はニューイヤーカードでなく小さい便箋に表裏にぎっしりと書かれていました。写真はエレンさんの息子さんピーターです。
バニースはシニアセンターのキッチン内で働いている人でミールコーディネイターをしている人です。栄養士とは違います。

エレンさんの手紙 92歳 (2)

2009-03-10 08:50:50 | Weblog
8/July/1992
Dear Masako
貴方とご主人の声を聞いて大変吃驚しまいした。本当に興奮してしまいました。はりばる遠い日本からお嬢さんのオレゴンにある大学の卒業式に出られ、お喜びになりお祝いなさったことと思います。
シニアセンターはすっかり変わりました。休憩所ラウンジには淡い緑色のテービルと沢山のアームチェアーが入りゆっくり休めるようになりました。事務所の近くに多目的室とギフトショップが出来ました。また、中庭には古い長いすは全部取り払い、赤いアームチェアーに変わり、綺麗な芝生と可愛い花の入った大きな植木鉢が並びとても綺麗になりました。
ピーターは引退生活を楽しんでおり、彼はコンピューターなしでは過ごせないようです。私たちは毎週火曜日にはランチを外食します。
バニースが戻ってきました。彼女は、今は二人の女の子の母親です。
友達メイビーはここのところ目を病んでいます。ご家族皆さんいつもお元気に過ごせますように。
Lots of Love
Ellen

14/December/1992
Dear Masako
私が貴方のことをすっかり忘れてしまったと思っているのではないかと思います。
素敵な写真の入ったお手紙のご返事が遅れて申し訳ありません。
月日はそれが何処に行っちゃたんだろう思うほど早く過ぎていきます。お二人ともお元気なことと思います。
ピーターは毎朝3マイルのウオーキングをするために浜に下りてそこの階段を上がり下りして、ポケット一杯のナッツを入れて、崖にいるリスにあげています。私はランチのお手伝いにシニアセンターに週2回出かけています。
お友達のメイビーは残念ながら病が重く1週間以上入院し、その後3ヶ月介護ホームに入りました。今は家に戻り、住み込みのヘルパーが世話をしています。それが脳と心臓にきて、記憶力、思考力減退して視力も悪化して殆ど見えません。
貴方が居られず本当に淋しいです。
どうぞ皆さんお元気で
Wishing you all best
Ellen



エレンさんの手紙 92歳 

2009-03-09 05:42:32 | Weblog
1992年3月20日に帰国しました。帰国の前にエレンさんの家にご挨拶に伺いました。「また戻ってきてね」と何度も言われました。  帰国してから頂いたお手紙が多く、92歳の時のお手紙です。

1/June/1992
Dear Masako
私のお誕生日のお祝いの素敵なバースディーカード大変有難うございました。
丁度5月27日に届きました。貴方のような打ち解けた素敵な人に会えず とても淋しいです。
キッチンでは他の人とあまりお話しません。私は水曜日と金曜日の朝キッチンに行き、皆さんが来る前に全部の仕事を済ませますが喜んでしています。
貴方がここのアパート生活のあと日本に戻られご自宅に住み、さぞ毎日忙しくワクワクしながら家事や庭仕事をなさっているでしょう。
私の誕生日はとても素敵でした。バニースの後任の女性から、とても素敵な鉢植えとカードをもらいました。
彼女はそれほど親身でなく、他の人のように私を抱きしめてくれませんが、私を困らせることも全くありません。
息子のピーターが、素敵なレストランに連れて行ってくれました。ローストビーフとヨークシャープディングの英国式の食事を楽しみました。そのから私のために真珠のネックレスとイヤリングを買い、テキサスの息子と孫娘からテーブル一杯の綺麗な花が届きました。
ピーターと私は3週間の休みをとり、数々の渓谷、ソルトレイク、タホ湖、その他、数都市を通ってユタに3泊しました。ピーターは4,000マイル ドライブして、出かける前に予約しておいた素敵なモーテルに泊まりました。
私の友達メイビーはあまり調子が良くありません。よろしくとのことです。
貴方とご主人が健康でありますよう 私は何時もお二人が本当に愛しい方々だと思っています。
私のためにして頂いた全ての素晴らしいことに感謝します。どうぞお幸せに。
Lots of Love us Both Peter & Ellen




エレンさんの手紙 91歳 (2)

2009-03-07 10:33:27 | Weblog
5/May/1991
Dear Masako
ずーと留守にしていてお返事が出来ず申し訳ありませんでした。2月から帯状疱疹のためずーと家におりました。
バニースはバケイションにでかけるのを知っておりました。
テキサスの長男のところに飛行機で行き、ピーターが1週間後、車でやってきました。それから約400マイル、テキサス、ニューメキシコを通りコロラドまでドライブし、ロッキーに上がり美しい公園や渓谷を通ってユタに行き、更にアリゾナそして終点のフラリンに行き4月30日の火曜日に帰宅しました。3週間4300マイルの美しい旅でした。
もし望まれるなら次の水曜日からシニアセンターでスタートしたいと思っています。貴方と家族の皆さんお元気であることをお祈りし、すてきな思いやりのあるカードに感謝します。近々お目にかかれるよう念じています。
Yours Faithfully
Love Ellen

PS: Remember me to your daughter in Japan

手紙の書き始めは右側に日付けを書きますが、次は1行下がり、左側に宛名を書きます。エレンさんは、Dear masako,
My Dear masako, To masako to 書かれていました。
お手紙の最後に書くのは右下にエレンさんは、Your Sincerely,とよく書いてありました。これは一般的に使われる結辞で、Dear ~ Sincerely 日本で拝啓~敬具になり、他に Yours Faithflly , Yours Affictionately, Lots of love 書かれてありました。Yours, を最初に書くにはイギリス方式で、ふつう英文で出すには、Sincerely Yours, で Yours,を最後に書きます。少し違います。

写真はバイキングスタイルのランチのあるイベントでお年寄りが多いので、ここではお皿に一人づつ盛り付けてあげるお手伝いをしています。この後ダンスをするためにきれいなお洋服を着ていました。






エレンさんの手紙 91歳

2009-03-06 09:05:54 | Weblog
3/February/1991
Dear Masako
ギフトとカード有難うございました。とても綺麗で嬉しゅうございます。
私は帯状疱疹になってしまいシニアセンターに行っておりません。どこで帯状疱疹に感染したのかわかりません。医者は空気中にいると言っています。
それは水泡のようなもので背中を横切って左の鼠径部まで下がりました。とても痛みがあるので1日3回シャワーを浴び軟膏を塗ります。良くなってきていますが、医者はかなり長い間痛むと言います。
シニアセンターに行きそびれていますが、良くなったら水曜日に行きたいと思っています。
メイビーには3週間会っていません。
お嬢さんは無事にお帰りのことと思います。私がお世話になったお礼をよろしくお伝えくださいませ。彼女がいなくなりとても淋しいです。お二人とも大好きです。
Lots of Love Ellen
PS:Have a nice week-end

写真はお友達のメイビーさんと一緒です。お二人ともイギリス生まれ、偶然にイギリスのヒースロー空港で会いそれ以来からのお付き合いです。歳はあまり変わりません。
日本から娘がアメリカに遊びに来て私と一緒にシニアセンターでお手伝いしました。

エレンさんからお手紙を頂き、英文で出す手紙の書き方の勉強になりました。先ず最初の1行目は右端に書いた日の日付を書きます。 最初は、日/月/年と並びます。(例、15/11/1989 : 14/December/1992)です。
この順序は英国式でアメリカは、月/日/年 と並び、日/月 が入れ替わります。エレンさんはアメリカに住むイギリス人で国籍を持ち続けていると話されました。

エレンさんの手紙 90歳

2009-03-05 08:56:14 | Weblog
8/September/1990
Dear Wasako
お手紙有難うございました。お手紙を頂いてとっても嬉しかった。ご家族とそちらに戻られ休暇をお楽しみの事と思います。暫く貴方の可愛らしいお顔がお目にかかれないので、とても淋しいです。早く戻ってきてください。
バニースが私たちのところに戻ってきました。彼女は綺麗な可愛い赤ちゃんを抱いてきました。
私の息子ピーターは引退生活を楽しんでおり、コンピューターをしたり私の家事を全部してくれます。今では私は有閑夫人といったところです。またお目にかかれることを楽しみにしております。ご無事でお帰りを。
Yours Faithfully
Ellen            
私が日本に一時帰国した時、娘の住んでいたアパートに来たお手紙です。

26/October/1990
Dear Masako
素敵なカード、そして何時も私を心に留めて頂き有難うございまた。私は貴方が戻られる日を指折り数えております。
あまり気にしておりませんでしたが、右目の上に長いこと痛みがあり、これまで自分で処置してきたのですが、なかなか直らないので医者に診てもらいました。医者が言うのは皮膚癌との事で2週間前に手術を受けました。かなり深く切開したので治癒には長いことかかりそうです。正直なところ些か気味が悪いです。
このところ2週間外出しておらず、シニアセンターにはすっかりご無沙汰しております。まもなく良くなり貴方とご一緒できると思います。
有り難いことに、引退した息子のピーターが私のショッピングを手伝ってくれています。どうかお体に気をつけて。お嬢さんによろしく。
With sincere wishes Loving you,
Ellen             
PS: I hope you understand my writing





エレンさんの手紙 89歳

2009-02-26 13:04:09 | Weblog
26 July 2004
Dear Masako
 私の母は、貴方が母を大変敬愛くださり、貴方の WEB SITE  に、母の思い出を書き込み入れてとお考えであると知ったらきっと喜ぶことでしょう。
母はシニアセンターでの貴方との楽しかった折々の会話をよく私に話しておりました。
勿論貴方がお好きなように母の写真や手紙をお使いになっても結構です。
もし、貴方がもっと母の写真をお望みなら、どうぞお知らせください。私は沢山持っております。
貴方の WEB SITE のアドレスをお知らせいただければ有り難く存じます。
Sincerely
Peter

初めて頂いたエレンさんの手紙(89歳)

15 / November / 1989
Dear Masako
 素敵なカードとそして何時も私のことをお気遣い下さり有難うございました。
私はうっかり転び、顔を激しく打ってひどい顔になってしまいました。
シニアセンターに行き皆さんにお会いすることが出来ませんでした。
今はすっかり良くなったので来週には戻りますのでお目にかかれるでしょう。
貴方は本当に可愛い女性で大好きです。ご一緒に仕事が出来てとても嬉しいです。
With sincere wish & Love from Ellen




第九章  エレンさんの手紙

2009-02-25 11:14:19 | Weblog
はじめに  
私がエレンさんにお会いしたのは1987年から1992年までカルフォルニア州ニューポートに住み、エレンさんに1989年のシニアセンターでした。その時はエレンさんは89歳(1900生まれ)でした。
89歳から101歳までに頂いたお手紙を日本文に訳しご紹介します。
私が日本に帰国した後の手紙が多く、私の手紙をエレンさんに送ると必ず返事のお手紙を頂き、いつも感激しておりました。
2002年4月、エレンさんの息子さん(ピーター)から頂いたお手紙からご紹介します。

23rd April 2002
Dear Masako
 大変申し訳ありませんが悪いニュースをお知らせします。
母エレンが重い流行性気管支炎で入院し亡くなりました。母はH病院で2週間治療のあと快方にに向かい家に戻れると期待していましたが、体調が突然悪化して4月15日に息を引き取りました。
母は入院する直前にも貴方のことを考えており、母が病気になった折、貴方から頂いた一月のお手紙に返信しようと思っていました。
ここに、貴方が母の友人であり、何時も貴方や家族のニュースで母を明るくして頂いたことを感謝します。
Your Sincerely
Peter

アメリカで暮らして学んだ事

2009-02-21 09:50:54 | Weblog
が日本を発つとき 「アメリカは怖い国と聞いているので気をつけてね」 の言葉を背に受けて渡米しましたが、確かに滞在中は最後まで緊張感は取れませんでした。

真昼間、の目の前で猛スピードで自動車で逃げる犯人をパトカーが追いかけている場面を見るとドキドキしました。
私もを走行中、突然パトカーが後ろに張り付いてきて 「前の車、右の道路端に寄りなさい」 マイクで指示されビクビクしてを停めると自動車の税金を払っていないからと交通違反切符を渡されたのです。
前年度自動車の税金を払った時にその月のシールを渡され、シールを自動車のナンバープレイとにつけるのですが、毎年シールの色が変わるので未払いがわかるのでした。
忘れていた、知らなかった では通るものではありません。全て自己責任なのです。
昼間でも危険とおもわれている地域に行きトラブルが発生した場合でも出かけた人が悪いと評価されました。
そのために英語が出来ず一人で家の中に閉じこもり孤独感からストレスをためる人もいたようです。

も当初は英語が全く話せず、惨めであったし、恐怖心さえ感じました。でも私には恐怖心は持続しませんでした。慣れることが当初の気持ちを和らげてくれました。

持ち前の好奇心と少しある度胸で一歩前進したのです
シニアセンターに行ったときは、英会話が出来なくても手芸のニードルポイントの作品を作ることが出来たし、テーブルテニスのスポーツにも参加することが出来ました。
あと私が出来ることはニコニコと笑顔を振りまくことでした。また、親切な人が私の周りにいて大変恵まれていたと思っています

ボランティアの経験もして、いつも同じ人と接していれば、片言の英語で会話も出来るようになり楽しく過ごすことが出来ました。
自分で言うのもあつかましいのですが かんと度胸と愛嬌 で乗り越えてきたと思っています
ギブアンドテイク という言葉がありますが常識として皆さんは考えられているようでした。
これは物質的なことだけでなく 奉仕と感謝 の意味が含まれていると思った次第です。

アメリカの医療について(3)

2009-02-20 04:51:59 | Weblog
病院に着くと外科医の若いドクターから破傷風の予防注射をしているかと聞かれ、娘に通訳の手助けをしてもらいました。
注射をしてからドクターは私の膝頭に出来た三日月型の傷口を15針も縫いました
。膝頭のお皿(骨)は問題なく、複雑に傷ついた傷口は半分は綺麗につき後の半分は膿んで直るまで日数がかかりました。
直りの悪かった傷口は今でも痕が残っています。

もそけいヘルニアの手術をしました。
米国では入院費用が高くヘルニアは簡単な手術の部類に入るらしく日帰りの手術です。
家を朝6時にでて病院に行くと直ぐに病室に入り看護士が準備したストレンチャーに乗せられ手術室に入っていきました。
手術室の前には患者の家族が集まっていました。
何人かの外科医が同時に執刀するようでした。
手術が終わると看護士は患者をストレンチャーに乗せ点滴を下げながら出てきました。
手術室から出てくるのは1台だけでなくあとから後からストレンチャーが出てくるのには驚きました。
又出てきた患者の足首には名札が時計のバンドのようにはめられていて、さすがアメリカは多国籍の人が多いので、人物と名前を間違えないようにわかり易くしてあるようでした。看護士は尿が出たら帰っていいと言って出て行きました。
病室で2時間ほど休んでいる間にジュースなどを飲んで入るうちに尿が出たので私運転して家に3時ごろ帰宅しました。

知人も仕事を終えて、日帰りの手術と聞いてもまだいると思ってお見舞いに行くと、もう帰ったと聞いて吃驚していました。
家に帰りベットでの寝起きはきついので居間にあるソファーを使い、消化の良い食事にして過ごしました。
3日ほどしたら、夫は多少の痛みがあったようでしたが、もう勤めに行き暫くの間半日勤務を続けました。