When words leave off music begins.
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Vitali Chaconne [Arthur Grumiaux]
鎌倉時代、榛名山御師の活動により榛名神社の信仰が広められた。やがて、榛名宮は建長七年(1255年)沼田郷総鎮守と崇められ、正応三年(1290年)鐘が鋳造され奉納されたという記録がある。
また、永仁六年(1298年)、上野国神名帳に寶高大明神(武尊様)、薄根大明神(天神様)の名がみえまた、一書には武尊様は九世紀、ホタカ山から御神体として石を持ってきて現在の沼田公園内にお祀りしたとある。
戦国時代となり、沼田万鬼才顕泰は武尊様の社地に新たに倉内城を建てることを決め、享禄二年(1529年)武尊様、榛名様、天神様を合わせ祀り、現在の地に社殿を建立、そして元和元年(1615年)真田信之公が改築、現在に至る。
建御名方命は榛名社の西に遷座された諏訪神社であり、明治四十一年合祀。
当社は、沼田氏、真田氏、本多氏、黒田氏、土岐氏と代々城主の崇敬を受け、その由緒の宝物が保存され、特に本殿は桃山文化を代表する豪壮華麗な建物である。
明治六年郷社、昭和三年縣社に昇格し、現在利根沼田総鎮守として御神威は広く輝いている。
人皇第五十六代清和天皇の御宇、貞観六年五月富士山西北峰大噴火の事あり、時の住民は甚大な災害を被く、この事甲斐ノ国司橘ノ末茂(たちばなすえも)公より朝廷に奏上、翌貞観七年十二月九日丙辰の勅命に依り鎮火の神 浅間明神を此地に奉齋、 無位擬大領伴直真貞(ばんあたいまさだ)を祝に伴秋吉(ばんあきよし)を禰宜に任じ、富士鎮火祭を執行す。これ当神社の御創祀なり。郡家以南に建立官社に列せらる。
九五八年(天徳二年)村上天皇が、崇敬者の礼拝儀祭の便を図るため、老松繁る現在の場所へ建立。
以来武田家、小山田家、徳川家からあつい信仰や手厚い庇護を受けて来た。
現在の建物は、明治二二年に再建。
河口湖に面し、喧騒と離れた静寂の中で、歴史の風を感じられる。
河口湖湖畔に鎮座し、千三百年以上の歴史を有する富士山最古の神社。六九九年に藤原義忠が霊山冨士二合目に奉斉し、以後も有力な武将の祈願所として崇敬される。特に室町時代には武田家三代に渡り庇護をうけ、戦勝祈願(商売繁盛)子孫繁栄(婚姻、子授け、安産)の霊神として祀られる。
広い境内には、富士山を背にする本宮(国重要文化財)と、河口湖を背にする里宮が建てられており、本宮は昭和四九年に、永久保存の為、現在地に遷祀したものである。社宝に武田晴信(信玄)直筆の安産祈願文を始めとする多数の古文書や、中世一千年の歴史を記した勝山記等(共に山梨県指定文化財)があり、貴重な資料として保管されており、それを目的に足を運ぶ研究者も多い。
代表的な神事に、毎年四月二九日に行われる武田流流鏑馬神事があり、出陣式、神事の後、太鼓の合図に合わせ、次々と砂煙を上げて疾走する馬から矢を射る様は、戦国絵巻さながらの流麗さで、地域の人々を始め、多くの人に深く愛されている。
昭和四十六年、全国約八〇〇〇〇社の、三五三社の別表社(山梨県内六社)の一社に列せられる。