When words leave off music begins.
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Vitali Chaconne [Arthur Grumiaux]
鶏や野菜のうまみが効いたスープと細麺が見事にマッチた栄養満点で小さなお子様から大人まで食べやすいペルーの民族料理。正式名称は「Sopa a la minuta (ソパ・ア・ラ・ミヌーホカ)」。表面にはニンジンの赤やハーブの緑もトッピングされ、紅葉をイメージした見た目にも美しい一品に仕上がっています。牛乳が入りクリーミーな味わいだが、後味はさっぱりとしていて思わずおかわりがしたくなるおいしさです。
味:クリーミーな塩味
だし:アヒ・パンカ(ペルーの味噌)、鶏肉、牛乳、野菜
麺類:幅3mm、厚1mm
具材:玉ねぎ、トマト、にんじん、鶏肉、オレガノ
川島町指定文化財 組み合わせ式(箱式)石棺
この石棺は六枚の緑泥片岩を組み合わせて箱型に造ったもので、今から千数百年前の豪族の墓に使用されたものです。縦の内法195センチメートル、横の内法56センチメートル、高さの内法前方46センチメートル、後方53センチメートルあり、床石と蓋石には四辺に幅4センチメートル、深さ1.5センチメートルの溝があり、前後の石は左右の石に組み込む仕組みになっています。このような石棺は県内では珍しいもので、古墳時代後期の埋葬様式を知るうえで貴重な資料です。
文化年間(1804-1818)東大塚の古墳(東大塚283-1裏)上の神明神社修理の際出土し、中から剣太刀・やじり・其外のものが発掘されたので、中山の秋元但馬守の陣屋へ届け出たといわれています。
その後最近までこの石棺は古墳上に置かれていたのですが、古墳は原型を失いそこに置くことは適当でないとの判断されたため、昭和40年5月この地に小さく円墳を模造して置くことにしたものです。
昭和58年3月1日 川島町教育委員会
戦国時代、行田周辺の武蔵武士の中から、現在の熊谷市上之を本拠地とする成田氏が台頭し、忍城(おしじょう)を築城しました。
文明11年(1479)の古河公方足利成氏(あしかがしげうじ)の書状に「忍城」、「成田」とでてくることから、このころには築城されていたと考えられます。
当時の城主は成田顕泰(なりたあきやす)といい、以後親泰、長泰、氏長と四代にわたり、天正18年(1590)まで、約百年のあいだ成田氏が忍城主でした。
永正6年(1509)、忍城を訪れた連歌師の宗長は、城の四方は沼にかこまれていて、霜で枯れた葦が幾重にもかさなり、水鳥が多く見え、まことに水郷である、と日記に書いています。
忍城の築かれた場所は、北は利根川、南は荒川にはさまれた扇状地で、小さな川が乱流するとともに、伏流水が寄り集まって広大な沼地となっていました。そこに残る島や自然堤防をたくみに利用して、忍城が築かれました。
戦国時代、さまざまな戦いに耐え、石田三成の水攻めにも屈しなかったことで有名です。
(Resource:行田市教育委員会)