森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

When words leave off music begins.


屈巣久伊豆神社

2024年11月15日 | 1/7,726 

花のまち鴻巣市、フラワー通りのパンジーハウス(鴻巣農産物直売所)の北東だけど、ぐるっと回って元荒川を越えて旧川里村の鎮守「屈巣(くす)久伊豆神社」に参拝。


鳥居の額には「正一位久伊豆大明神」


社号標には「神饌幣帛料(しんせんへいはくりょう)供進指定神社」の表示。


真っ直ぐな石畳に幟立て、石灯篭に狛犬と、なんとも趣のある境内となっています。左側には社務所。


では、参拝。


屈巣久伊豆神社    鴻巣市屈巣二三一二 ー 一

□歴 史
 当地の地名は元来、国主と書かれたが、正長年間(一四二八 ー 一四二九)当社境内の老榎樹に鷲が棲みつき、度々子供を傷つけたことから村人がこの鷲を祀って鷲神社と号してからは、鷲も巣の中に屈して出てくることも無くなったために屈巣と改められたという。
 また、『明細帳』には「本社々殿ハ宝亀元年(七七〇)九月ノ建立ニシテ今ヲ距ル千有余年爾後数回再建ノ事記アル棟板等今ニ存在セリ、而シテ又土俗ノ口碑ニ前玉(さきたま)神社ノ一社ナリト伝フ、蓋シ本社久伊豆神社祭神大己貴命ハ大国主命ニシテ古ヘ村名ヲ国主村(今ハ屈巣村ト伝フ)ト唱ヘシハ即チ大国主ノ二字ヲ村名ニ呼ヒシニ原因セシナラン、以上土俗ノ口碑ト当時存在セル棟木ノ年号トニ依レハ古ヘ前玉神社ニ座ス其一ヲ祭リシモノニテ式内ノ神社タルコト明ナリ且ツ中古当社ノ殿内ニ八幡社鷲神社ノ両祠を配祀ス、然レドモ其縁由詳ナラス」とある。
 また、『風土記稿』には、村の鎮守として祀られ、正保二年の棟札を蔵し、本山修験の桜本坊が別当を務めていたことが記される。時代は下って、明治四二年に村内の一六社が合祀された。

□主祭神
・大己貴命(おおなむちのみこと)

□神社年中行事
・四方拝(一月一日)  ・祈年祭(二月二十六日)
・春の例祭(四月十五日)  ・大祓い(六月三十日)
・秋の例祭(十月十五日)  ・七五三 祈願祭(十一月十五日)
・新嘗祭(十一月三十日)  ・交通安全祈願(十二月十三日)
・大祓(十二月三十日)


社殿西側には三峰社。その隣、大きな石碑は日露戦役記念碑。小さいほうは紀元二千六百年記念の碑となります。


奥にはポツンと塞神。「埼玉の神社(埼玉県神社庁・刊)」には『おかね様とも足の神様とも呼ばれる』とありますが、庚申さまは「おかね様」とも呼ばれるようで、また、青面金剛との繋がりからかとも思われますね。


裏には石灯篭と石祠が二つ。右の石祠には「若宮八幡宮」とあります。


そして、数々の石祠が並んでいます。「明治42年に村内の一六社が合祀された」とありまが、その名残でしょうか?


本殿を囲むフェンスにちょっと違和感........。


ご神木でしょうか? 大銀杏。雌木です。


境内大銀杏の奥に「忍領境界石標」があります。左の『従是北忍領』とあるのがそれ。


鴻巣市指定有形文化財 忍領境界石標  昭和五三年三月九日指定

 この石標は、忍藩が他領分との境界争いが起こらないよう安永九年(一七八〇)に屈巣村(現川里村屈巣)と安養寺(現鴻巣市安養寺内)との境に建てたものである。
 忍藩内に一六本建てられたものの一つである。明治の廃藩置県後、一時個人所有になったが、その後久伊豆神社に寄附されたもので、川里の歴史を語る貴重な資料である。
 「従是北忍領(これよりきたおしりょう」と彫られている。
高さ一三三cm 幅三〇cm 小松石

    平成七年七月  鴻巣市育委員会


:ここです→ Google マップ

コメント
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